家族観とは?2 家族観は変わり続けている

  岸田首相たちが「家族観」が変わることをタブーのように言っているが、家族観は歴史と共に変わり続けている。

 社会的に家族を援助する制度がなかった時代、家族はその成員間で助け合わなければ暮らしていくことができなかった。若い成員は、自らのために食料を狩猟・採集・生産・料理すると共に、働けなくなった老人を扶養し、介護を担い、幼児を自分たちのようになれるように養育することは当たり前だった。

 このような社会では、老人がそのようにされないと社会不安につながるため、「親孝行」というモラルが重んじられた。子の養育についても、「親の責任」を背負わされた。 

 農業社会から工業社会への変遷により、大家族が分解して核家族が主流となり、女性の社会進出も進み、親の扶養や介護が困難になったため、現在の年金制度や介護保険制度で老人扶養や介護の機能を代替し、保育所、児童養護施設は子の養育の機能を代替するようになった。また、外食産業、レトルト食品や冷凍食品の普及、種々の家事の外部化も盛んになっており、かつての主婦の役割はかなり軽減されている。現代社会の変遷は家族機能の社会化が一つの特徴だ。

 以上のような社会の変化に伴い、家族形態や家族の機能は変遷を重ねている。だから当然、「家族観」も変わり続けている。変わってはいけない「家族観」というものがあるのだろうか。変わってはいけないものは大多数の人が論議し合意形成した「理念」(例えば憲法)のようなものだろう。それでさえ、必要ならまたその作業をして変えなければならないことはあるだろう。

 少なくとも彼らが言う「家族観」とはそのようなものではないだろう。是非知りたいものだ。

家族観とは?1 同性婚を巡って

 2023年2月1日には岸田首相が、昨日(2023年2月3日)は首相秘書官が、同性婚について、法制化された場合は、「社会や家族観が変わってしまう」というようなことを言っていたそうだ。このようなことはこのブログでも取り上げた「匿名出産」に関しても与党議員から述べられていた。

 私は結婚制度そのものに疑問を持っているので、同性婚法制化について賛同しているわけではありません。それについては別の機会に述べるつもりですが、上記の発言について皆さんはどうお感じになりますか?

 この発言は当面、この問題がクローズアップされるのを避けたいという逃げの言い訳だと思いますが、これが決め台詞のようになり、放置されると、彼らの「家族観」がどんなものかが分からないまま正当化されてしまうことでしょう。

 家族観とは家族についての各個人の捉え方で、そこには歴史的認識や現状認識、現状についての肯定的または否定的考え方、理想像などいろいろな要素が含まれています。ですから、それは多様であり、現在、社会的に共有されている「家族観」というものがあるとは思えません。彼らが、そのような「家族観」が現在存在しているというのならそれがどのようなものなのか、ぜひ知りたいと思います。そして、それがどの程度社会で共有されているのかについて、世論調査をしてみるべきだと思います。そのうえで、上記に述べた理想像まで含めて国民的に議論することが必要な問題だと思います。そのいい機会であるのに、野党からもマスコミからも民間団体からもそのような動きがないのはなぜでしょう。日本はそのような議論が全くできていない国だと思いますが、それは野党やマスコミにも責任があるのではないでしょうか。これからでも彼らに明確にさせるべきです。

 彼らが明確な考えなくそう言っているとしたら、頑迷に伝統を守っていればいいと自ら考えているか、そのような支持層の反発を恐れているだけの政治家であり、そもそも政治を担う資格のない人たちであることが明らかになるはずです。それはこの問題に限りません。野党の皆さんは、与党政治家のスキャンダルを責めるばかりでなく、このような基本的なことをするべきではないでしょうか。