岸田首相たちが「家族観」が変わることをタブーのように言っているが、家族観は歴史と共に変わり続けている。
社会的に家族を援助する制度がなかった時代、家族はその成員間で助け合わなければ暮らしていくことができなかった。若い成員は、自らのために食料を狩猟・採集・生産・料理すると共に、働けなくなった老人を扶養し、介護を担い、幼児を自分たちのようになれるように養育することは当たり前だった。
このような社会では、老人がそのようにされないと社会不安につながるため、「親孝行」というモラルが重んじられた。子の養育についても、「親の責任」を背負わされた。
農業社会から工業社会への変遷により、大家族が分解して核家族が主流となり、女性の社会進出も進み、親の扶養や介護が困難になったため、現在の年金制度や介護保険制度で老人扶養や介護の機能を代替し、保育所、児童養護施設は子の養育の機能を代替するようになった。また、外食産業、レトルト食品や冷凍食品の普及、種々の家事の外部化も盛んになっており、かつての主婦の役割はかなり軽減されている。現代社会の変遷は家族機能の社会化が一つの特徴だ。
以上のような社会の変化に伴い、家族形態や家族の機能は変遷を重ねている。だから当然、「家族観」も変わり続けている。変わってはいけない「家族観」というものがあるのだろうか。変わってはいけないものは大多数の人が論議し合意形成した「理念」(例えば憲法)のようなものだろう。それでさえ、必要ならまたその作業をして変えなければならないことはあるだろう。
少なくとも彼らが言う「家族観」とはそのようなものではないだろう。是非知りたいものだ。