ロシアのウクライナ侵略問題6

 ロシアとウクライナの問題はいまだ解決の見通しがつかないでいる。

これは武器等の面で不利なウクライナに欧米諸国が武器を援助し、ロシアと均衡を保っているのだから、ある意味では当然だといえるだろう。こうしている間に両軍の兵士やウクライナの非戦闘員の死傷者は確実に増え続けている。欧米側には支援疲れが出始めてからもプロパガンダにより引くに引けず、政府に不平や批判さえ向けられている。

こんな中、ゼレンスキー大統領が9月17日放送の米CBSテレビのインタビューで、ウクライナが敗北すればロシアはポーランドやバルト3国に迫り、第3次世界大戦に発展しかねないと警告し、さらに「プーチンを食い止めるか、世界大戦を始めるか、全世界が選ばなければならない」と述べたとのこと(9月19日信濃毎日新聞より)。

このような彼の論理により、この1年半余り多少の差はあるが全世界がこの戦争に巻き込まれ、悪影響を受けてきている。冷たいようでも基本的には2国間の問題であることを忘れてはならない。現在の世界は2度の世界大戦を経ても、依然として弱肉強食の世界である。現在の国連は強国間の妥協の産物でしかない。第3次世界大戦は核の脅威により起きていないだけだ。

もうゼレンスキー大統領の意向に動かされていてはならない。彼の言う2者択一はあり得ない。ロシアは負けそうになったらその段階で核を使うかもしれないからだ。

世界を守るためにウクライナ人が実際に戦い死ぬことにより「最も高い代償を払っている」というのは詭弁でしかない。これ以上彼の論理に振り回されることはやめ、ウクライナにも不満はあっても、佐藤優氏の提案のような方法により停戦させることが早急に必要だ。

ロシアのウクライナ侵略問題5 (佐藤優氏の戦争解決案)

 案の定、ウクライナ戦争は終わりが見えない。

先月、週刊現代6月17日号に佐藤優氏が「ロシア・ウクライナ戦争 正しい理解の仕方」というタイトルで、欧米的な風潮や日本の論調を批判しながら適切な分析をしている。

彼曰く。この戦争はアメリカが自国への被害を防ぎつつ、ロシアを弱体化させるために管理された戦争であり、ウクライナは勝利できないと。ロシア軍は壊滅されそうになると、アメリカに戦略核を発射するからだと。

そして、驚いたのは、私が考えていたのと同様な戦争の終わらせ方をここで最後に述べていることだ。

それは、即時に停戦し、国連等がクリミア半島を含めたロシア占領地域で住民投票を実施し、その結果により帰属を決定するという提案です。

ウクライナを援助しながら代理戦争をして正義を主張している大方の風潮の中で、このどこからも提案されていないことを、反発を恐れずに表明してくれた佐藤氏を評価するとともに、この提案を強く支持します。

この提案に付け加えるとすれば、言うまでもないことですが、住民投票は現在各地に避難している元住民にも選挙権を与えたうえで実施するべきだということです。

それから、このようなことができなければ国連は無用の長物であり、ここで積極的に動き、その存在価値を見せるべきだと思います。

そしてこの解決案が成功すれば、スコットランド等、世界各地で紛争がある特定地域の独立問題の解決策にできると思います。

家族観とは?2 家族観は変わり続けている

  岸田首相たちが「家族観」が変わることをタブーのように言っているが、家族観は歴史と共に変わり続けている。

 社会的に家族を援助する制度がなかった時代、家族はその成員間で助け合わなければ暮らしていくことができなかった。若い成員は、自らのために食料を狩猟・採集・生産・料理すると共に、働けなくなった老人を扶養し、介護を担い、幼児を自分たちのようになれるように養育することは当たり前だった。

 このような社会では、老人がそのようにされないと社会不安につながるため、「親孝行」というモラルが重んじられた。子の養育についても、「親の責任」を背負わされた。 

 農業社会から工業社会への変遷により、大家族が分解して核家族が主流となり、女性の社会進出も進み、親の扶養や介護が困難になったため、現在の年金制度や介護保険制度で老人扶養や介護の機能を代替し、保育所、児童養護施設は子の養育の機能を代替するようになった。また、外食産業、レトルト食品や冷凍食品の普及、種々の家事の外部化も盛んになっており、かつての主婦の役割はかなり軽減されている。現代社会の変遷は家族機能の社会化が一つの特徴だ。

 以上のような社会の変化に伴い、家族形態や家族の機能は変遷を重ねている。だから当然、「家族観」も変わり続けている。変わってはいけない「家族観」というものがあるのだろうか。変わってはいけないものは大多数の人が論議し合意形成した「理念」(例えば憲法)のようなものだろう。それでさえ、必要ならまたその作業をして変えなければならないことはあるだろう。

 少なくとも彼らが言う「家族観」とはそのようなものではないだろう。是非知りたいものだ。

家族観とは?1 同性婚を巡って

 2023年2月1日には岸田首相が、昨日(2023年2月3日)は首相秘書官が、同性婚について、法制化された場合は、「社会や家族観が変わってしまう」というようなことを言っていたそうだ。このようなことはこのブログでも取り上げた「匿名出産」に関しても与党議員から述べられていた。

 私は結婚制度そのものに疑問を持っているので、同性婚法制化について賛同しているわけではありません。それについては別の機会に述べるつもりですが、上記の発言について皆さんはどうお感じになりますか?

 この発言は当面、この問題がクローズアップされるのを避けたいという逃げの言い訳だと思いますが、これが決め台詞のようになり、放置されると、彼らの「家族観」がどんなものかが分からないまま正当化されてしまうことでしょう。

 家族観とは家族についての各個人の捉え方で、そこには歴史的認識や現状認識、現状についての肯定的または否定的考え方、理想像などいろいろな要素が含まれています。ですから、それは多様であり、現在、社会的に共有されている「家族観」というものがあるとは思えません。彼らが、そのような「家族観」が現在存在しているというのならそれがどのようなものなのか、ぜひ知りたいと思います。そして、それがどの程度社会で共有されているのかについて、世論調査をしてみるべきだと思います。そのうえで、上記に述べた理想像まで含めて国民的に議論することが必要な問題だと思います。そのいい機会であるのに、野党からもマスコミからも民間団体からもそのような動きがないのはなぜでしょう。日本はそのような議論が全くできていない国だと思いますが、それは野党やマスコミにも責任があるのではないでしょうか。これからでも彼らに明確にさせるべきです。

 彼らが明確な考えなくそう言っているとしたら、頑迷に伝統を守っていればいいと自ら考えているか、そのような支持層の反発を恐れているだけの政治家であり、そもそも政治を担う資格のない人たちであることが明らかになるはずです。それはこの問題に限りません。野党の皆さんは、与党政治家のスキャンダルを責めるばかりでなく、このような基本的なことをするべきではないでしょうか。

ロシアのウクライナ侵略問題 4(IOCの方針変更)

  1月25日にIOCが、国際スポーツ大会から除外されているロシアとベラルーシの選手の復帰を検討すると発表したところ、26日、ウクライナの青年スポーツ相が、パリオリンピックをボイコットする可能性をフェイスブックで示唆したという。27日にはゼレンスキー大統領が、IOCがロシア選手が中立を条件にしたとしても、そんなことはありえないという意味の演説をしたそうだ。

 このような行為が、両国国民の敵愾心を煽り、戦争を泥沼化させる一因となるのだ。これまでのウクライナの動きは友好国にまで広がり、日本では演奏会でロシア人作曲の楽曲の演奏を避けることまで起こった。

 昨年の北京冬期パラリンピックの際、IPCがその両国の選手の参加を除外したことが間違いの元だった。戦争は国家間で起こされることだ。戦争は誰もが避けたいことであるのに、このような時、国家に扇動され、そのことを忘れてしまい、国家の方針に無批判に同調してしまうことは、これまで何度も繰り返されてきた。

 国家は敵国を打ち負かすために、敵国のみならず、敵国の国民、文化などにも敵愾心を持たせ、軍隊等の士気が高揚させようとする。上記のウクライナの青年スポーツ相の示唆は、自国選手の気持ちを尊重するように装いながら、そのような狙いを含んでいることは明らかだ。戦意や士気が高まることは戦死者や戦傷者が増加することに繋がってしまう。

 このような時、国民同士が意図していなかった憎しみ合いに至ってしまうことを避けるために、国民は自国の方針を客観化して、少なくとも無批判の同調をしてはならないのだ。

 ゼレンスキー大統領は否定するが、政府を支持していないロシア選手もいるはずだ。ウクライナの代表選手はロシア選手との対戦を嫌がるかもしれない。しかし、そのような場合、主催者側は同じ競技をする人間として他国の選手と同様に接するように説得するべきなのだ。そしてそれが戦争を激化させないことに繋がることも伝えるべきなのだ。決して、棄権を恐れてはならないのだ。主催者側がそのように毅然とした態度でいることが大事なのだ。

 ロシアの国家主義により戦争をしかけられたウクライナが、それに対応するスタンスが国家主義でしかなければ、ロシアを批判することはできない。ウクライナはロシアという国家と戦わざるを得ないが、ロシア国民を敵にしないように、さらに言えば味方にするような姿勢でいるべきだ。そして、ウクライナ国民もロシア国民も同じ人間であり、分かり合えることを信じて接するべきなのだ。

 現在開催中の全豪オープンなどへの両国選手の出場が許可されているので、IOCが除外を再検討しようとするのは無理もないことだ。ただ、気になるのは、IOCがその方針変更の検討を始める動機が、オリンピックの商業主義的な盛り上げにあるとすると、ウクライナとその国民への説得力を持てないだろうということだ。ゼレンスキー大統領に偽善的と言われたが、今後の経過にIOCの良識が問われる。