1月25日にIOCが、国際スポーツ大会から除外されているロシアとベラルーシの選手の復帰を検討すると発表したところ、26日、ウクライナの青年スポーツ相が、パリオリンピックをボイコットする可能性をフェイスブックで示唆したという。27日にはゼレンスキー大統領が、IOCがロシア選手が中立を条件にしたとしても、そんなことはありえないという意味の演説をしたそうだ。
このような行為が、両国国民の敵愾心を煽り、戦争を泥沼化させる一因となるのだ。これまでのウクライナの動きは友好国にまで広がり、日本では演奏会でロシア人作曲の楽曲の演奏を避けることまで起こった。
昨年の北京冬期パラリンピックの際、IPCがその両国の選手の参加を除外したことが間違いの元だった。戦争は国家間で起こされることだ。戦争は誰もが避けたいことであるのに、このような時、国家に扇動され、そのことを忘れてしまい、国家の方針に無批判に同調してしまうことは、これまで何度も繰り返されてきた。
国家は敵国を打ち負かすために、敵国のみならず、敵国の国民、文化などにも敵愾心を持たせ、軍隊等の士気が高揚させようとする。上記のウクライナの青年スポーツ相の示唆は、自国選手の気持ちを尊重するように装いながら、そのような狙いを含んでいることは明らかだ。戦意や士気が高まることは戦死者や戦傷者が増加することに繋がってしまう。
このような時、国民同士が意図していなかった憎しみ合いに至ってしまうことを避けるために、国民は自国の方針を客観化して、少なくとも無批判の同調をしてはならないのだ。
ゼレンスキー大統領は否定するが、政府を支持していないロシア選手もいるはずだ。ウクライナの代表選手はロシア選手との対戦を嫌がるかもしれない。しかし、そのような場合、主催者側は同じ競技をする人間として他国の選手と同様に接するように説得するべきなのだ。そしてそれが戦争を激化させないことに繋がることも伝えるべきなのだ。決して、棄権を恐れてはならないのだ。主催者側がそのように毅然とした態度でいることが大事なのだ。
ロシアの国家主義により戦争をしかけられたウクライナが、それに対応するスタンスが国家主義でしかなければ、ロシアを批判することはできない。ウクライナはロシアという国家と戦わざるを得ないが、ロシア国民を敵にしないように、さらに言えば味方にするような姿勢でいるべきだ。そして、ウクライナ国民もロシア国民も同じ人間であり、分かり合えることを信じて接するべきなのだ。
現在開催中の全豪オープンなどへの両国選手の出場が許可されているので、IOCが除外を再検討しようとするのは無理もないことだ。ただ、気になるのは、IOCがその方針変更の検討を始める動機が、オリンピックの商業主義的な盛り上げにあるとすると、ウクライナとその国民への説得力を持てないだろうということだ。ゼレンスキー大統領に偽善的と言われたが、今後の経過にIOCの良識が問われる。