民主主義と専制主義 1

最近のアメリカとロシア、中国の対立は見苦しいほどに感じる。アメリカのバイデン大統領はアメリカ側の諸国は民主主義国で正義、ロシアや中国は専制主義で悪だと盛んに主張するが、そんな幼稚な論理で国際的なリーダーを演じても虚しさを感じさせる。これに同調するのはこれまで親米的だった日本やヨーロッパ諸国だけで広がる展望はない。

というのは、ロシアは制度上は国民が平等の投票権を持つ民主主義国家であるし、中国も民主主義を否定していないからだ。ロシアの選挙では権力による不正が行われているという疑いがあるというのなら、その根拠を明らかにし、その不正を非難すればいいわけだ。

中国の政治体制はその意味で民主主義ではないが、中国は自国こそ民主主義だと主張する。多数決ならそれが正義だということなら、それはたやすくポピュリズムに陥り、その結果、最近ではトランプ大統領が、かつてはヒトラー首相が誕生したこと、日本では殆どの期間、経済的利権最優先の政治しか存在しないことを考えると、全国民に平等な選挙権を与えた多数決による国家体制が、中国の国家体制よりも優れていると言えるのかどうか疑問になる。

中国の膨張主義的な面は抑制させなければならないが、これは一面ではこれまでのアメリカの帝国主義と似ており、そのような振舞に対する抵抗かもしれない。アメリカは第2次大戦後特に、共産圏以外の世界中を自国の好きなままにコントロールしてきた。最近のアメリカのなりふり構わない中国に対する攻撃的な言動は、経済的な行き詰まりから、それが叶わなくなってきたための焦りを強く感じる。

中国に方針転換をさせるためには、中南米諸国への露骨な干渉、ハワイ併合、フィリピン植民地化、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争、勝敗が明確になってから日本に核兵器でダメ押しをした行為等を含む上記の態度を反省することが前提になることをアメリカは知らなければならない。


安倍元総理国葬についての大澤真幸氏の寄稿

 2022年9月30日の信濃毎日新聞に社会学者の大澤真幸氏が寄稿している。

まず、「この国葬は、日本人の国民の記憶に明確な痕跡を残すことなく、忘れられていく予感がする」と述べていることには同感だ。

しかし、その根拠の「国葬の是非をめぐる世論の極端な分断にある」、「単一の主体を立ち上げるのに失敗した」という理由付けには納得がいかない。分断された状況があれば、それは忘れがたい記憶になるのではないだろうか。

さらに「今回の国葬をめぐる世論の分裂に、通常の政治的意見の対立とは異なる深刻なものを感じている。」、「普通は意見が対立していても、人は互いに反対派の気持ちや論拠に対しても一定の共感や理解をもっている。」が、今回は「このような反対派への共感が極端に薄かった」という感覚には大きな違和感がある。少なくとも日本の政治関しては、ずっと今回のような状況であったと私は思っている。彼のいう「普通」の状態とは、いつどのような状況において存在したのだろうか。それが存在したとすれば、なぜ無くなったのかを分析しなければないのではないだろうか。具体的な説明ができないのならただのノスタルジーかと思わざるを得ない。

そして、安倍晋三という政治家がなぜ憲政史上最長になりえたかという自ら設定した疑問に対し、また「わが国の議会制民主主義の中にほとんど反映されていない不可視の分裂が国民の中にあった」という結論のようなことを述べているが、「不可視」で済ませていてはならないのではないだろうか。

「最長」の疑問に関しては、私が先にこのブログで述べたように、自民党の中の最大派閥を巧妙に取り仕切っていたこと、党内にそんな安倍晋三より有力な人材がいなかったというレベルの低い結論をくださなくてはならないだけだ。わが国の議会制民主主義とは、理念などそっちのけの自民党を地縁や利権等のために支持してしまう日本国民の民度の低さで説明するしかないのではないだろうか。