2022年9月27日、国葬に多くの抗議が上がったのにもかかわらず、2022年9月27日、安倍元総理の国葬が予定通り実施された。実施を発表した以上、やめるわけにはいかないことは誰にでもわかることだろう。しかし、大事なことは、このようなことを空しい気持ちで忘れるという、これまでの繰り返しをいつまでもしていてはならないということだ。それこそ現在の為政者が認識している国民の姿そのものなのだから。
まず、岸田首相が述べた国葬実施の理由とその背景はしっかり記憶しなければならない。
もっとも重要な理由は、「憲政史上最長の在任期間」ということだったが、これは国民が直接そうしたわけではなく、自民党に、代わりになる人材がいなかったということを表しているに過ぎない。事件後も安倍派は党内最大派閥を保っており、このことが国葬とせざるを得ない大きな理由でもあるわけだ。いわば、自民党内の内部事情で国民の税金を使ったということであり、国葬に対する世論調査にもそんな国民の実感が現れていた。
森友学園、加計学園、桜を見る会など疑惑は数知れず、とぼけて否定すればいいという姿勢を貫き、自殺者まで出ているのに何の責任もとらず、むしろ部下に責任を押し付け、「忖度」という言葉をはやらせたようなあからさまな官僚支配をしてきた偽善的で傲慢な人間に日本の方向を決めさせてきたことは、そんな自民党に投票してきた国民自身の問題でもある。
国葬実施の他の理由は、「内政、外交で大きな実績」、「国際社会から大きな評価」、「蛮行による死去に国内外から哀悼の意」ということで具体性がない。
最後の理由について言えば、「蛮行」により殺されるような「愚行」をしていたことを考えると笑止千万としか言いようがない。事件以来、旧統一教会による被害が次々と明らかにされ、全国的な問題となったため、狙撃犯が旧統一教会の信者二世から密かに英雄視されているのではないかと思われる中、そのことに一定の責任がありそうな安倍元総理の国葬が行われるといういびつな状況になったことを私たちは今後もずっと忘れてはならない。