民主主義と専制主義 3

   民主主義が中産階級あってのものにすぎないのだったとすれば、「余裕があれば良識もある」ということを語っただけで、「理想を実現した」ことにはほど遠いことになります。要するに民主主義とは形式上の政治形態であり、ポピュリズムも民主主義がもたらした現象なのではないでしょうか。

 現在の世界情況を見ていると、民主主義国よりも、善政をしている名君がいる国の方がましかもしれないなどと思いたくなりますが、それも危険です。

 イギリスの首相だったウィンストン・チャーチルは、「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」と語ったという。現在の世界はその状況から一歩も前進していない。

 だからといって、最近、市民に平等な選挙権を与えることを改める必要があるなどと言う学者(ジェイソン・ブレナン等)がいますが、それにも疑問があります。合理的であっても差別をすることは許されません。

 今言えることは、すべての市民の意見が(多数決により)反映されることがよい政治に繋がると考えて来たことが間違いではないかということです。そのために政治に関心のない人まで血縁・縁・利権・利害・買収などのために投票に動員され、利己的な欲求を惹きつける巧妙な演説をする立候補者が当選してしまうのです。ですから投票率を上げることに意味はありません。政府や自治体は選挙の啓発活動をやめるべきです。

 そのために、選挙運動は選挙公報、立候補者が参加する公開討論会などに限り、前記のようなことをさせようとするその他の個別の選挙運動は禁止するべきでしょう。そうすれば選挙資金もあまり必要ありません。志を持った人がそれを気にせずに立候補できます。そして政治に関心のある人だけが投票すればいいのです。

  しかし、このような改革に支持が広がっても、上記のような選挙活動で政権を握っている政府等に制度を変えさせることはかなり困難です。上記のような選挙活動を却って強化し、改革を防ごうとすることでしょう。これをどのようにして克服するか。それがかなりの難問となります。

 

民主主義と専制主義 2

 

的場昭弘が「「19世紀」でわかる世界史講義」において、説明している民主主義について以下に引用します。

「近代国民国家は、民主主義の条件はそろえたが、それを守る基礎を欠いています。政治に参加できるのは、結局、経済的に豊かな者だけなのです。だから近代国家は、宿命として常に経済成長し、豊かな人々、中産階級を維持することが重要です。中産階級が崩壊すると、民主主義は機能しなくなります。すなわち、資本主義は常に綱渡り的に民主主義を実現するしかないということになります、カネの切れ目が縁の切れ目、民主社会は専制へと容易に変貌するのです。この資本主義と民主主義はヨーロッパが世界に流布させた文明ですが、それは極めて脆い条件の上にできているのです。」

「にわか勉強でルソーやロック思想を理解することはできるとしても、それをそれぞれの国の中に具体的に浸透させていくなど考えられません。そこに至るには、西欧的な市民社会が形成されなければならないし、資本主義が発展しなければならないからです。そうした物的条件がそろわない限り、民主主義思想を実現することはないのです。」

「そうした国民国家の論理は資本主義の性格にもぴったり合っています。持てる者と持たざる者の明確な差異が現れる。近代民主主義と資本主義は、排除と選別の論理によって発展しています。この論理をつくり上げたのは西欧の国々であり、彼らはアジアやアフリカに対してこの価値観を当然のように押し付けてきます。」

「日本の明治150年の近代化が果たして正しかったのかという問題が、突きつけられています。アジアを棄てた日本(「脱亜論」などで)が、いまだに欧米に向いていて、疑似ヨーロッパを体現している。しかし、実際には欧米から相手にされていない。そう考えれば、福沢諭吉の考えは早計だったと言わざるを得ません。」

イギリス、フランス、アメリカなどの一部の国でしか民主主義思想を実現できず、その国々でさえ中間階級が崩壊して民主主義が機能しなくなっているのですから、民主主義などどこにもないということになりそうです。現在のそれらの国の政治状況は明らかにこのことを表しています。

「グローバル化が中間層を分解させ、ポピュリズム社会になる」ということは、宮台真司が各所で語っている持論で、民主主義の危機だと説いています。

これまでアメリカが世界のリーダーでいられたのは豊富な援助資金をばらまいてきたからであり、バイデン米大統領のいう「民主主義」が理解されたわけではないのです。まさに「カネの切れ目が縁の切れ目」なのに、それを自覚できないのは滑稽でしかありません。