的場昭弘が「「19世紀」でわかる世界史講義」において、説明している民主主義について以下に引用します。
「近代国民国家は、民主主義の条件はそろえたが、それを守る基礎を欠いています。政治に参加できるのは、結局、経済的に豊かな者だけなのです。だから近代国家は、宿命として常に経済成長し、豊かな人々、中産階級を維持することが重要です。中産階級が崩壊すると、民主主義は機能しなくなります。すなわち、資本主義は常に綱渡り的に民主主義を実現するしかないということになります、カネの切れ目が縁の切れ目、民主社会は専制へと容易に変貌するのです。この資本主義と民主主義はヨーロッパが世界に流布させた文明ですが、それは極めて脆い条件の上にできているのです。」
「にわか勉強でルソーやロック思想を理解することはできるとしても、それをそれぞれの国の中に具体的に浸透させていくなど考えられません。そこに至るには、西欧的な市民社会が形成されなければならないし、資本主義が発展しなければならないからです。そうした物的条件がそろわない限り、民主主義思想を実現することはないのです。」
「そうした国民国家の論理は資本主義の性格にもぴったり合っています。持てる者と持たざる者の明確な差異が現れる。近代民主主義と資本主義は、排除と選別の論理によって発展しています。この論理をつくり上げたのは西欧の国々であり、彼らはアジアやアフリカに対してこの価値観を当然のように押し付けてきます。」
「日本の明治150年の近代化が果たして正しかったのかという問題が、突きつけられています。アジアを棄てた日本(「脱亜論」などで)が、いまだに欧米に向いていて、疑似ヨーロッパを体現している。しかし、実際には欧米から相手にされていない。そう考えれば、福沢諭吉の考えは早計だったと言わざるを得ません。」
イギリス、フランス、アメリカなどの一部の国でしか民主主義思想を実現できず、その国々でさえ中間階級が崩壊して民主主義が機能しなくなっているのですから、民主主義などどこにもないということになりそうです。現在のそれらの国の政治状況は明らかにこのことを表しています。
「グローバル化が中間層を分解させ、ポピュリズム社会になる」ということは、宮台真司が各所で語っている持論で、民主主義の危機だと説いています。
これまでアメリカが世界のリーダーでいられたのは豊富な援助資金をばらまいてきたからであり、バイデン米大統領のいう「民主主義」が理解されたわけではないのです。まさに「カネの切れ目が縁の切れ目」なのに、それを自覚できないのは滑稽でしかありません。