民主主義が中産階級あってのものにすぎないのだったとすれば、「余裕があれば良識もある」ということを語っただけで、「理想を実現した」ことにはほど遠いことになります。要するに民主主義とは形式上の政治形態であり、ポピュリズムも民主主義がもたらした現象なのではないでしょうか。
現在の世界情況を見ていると、民主主義国よりも、善政をしている名君がいる国の方がましかもしれないなどと思いたくなりますが、それも危険です。
イギリスの首相だったウィンストン・チャーチルは、「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」と語ったという。現在の世界はその状況から一歩も前進していない。
だからといって、最近、市民に平等な選挙権を与えることを改める必要があるなどと言う学者(ジェイソン・ブレナン等)がいますが、それにも疑問があります。合理的であっても差別をすることは許されません。
今言えることは、すべての市民の意見が(多数決により)反映されることがよい政治に繋がると考えて来たことが間違いではないかということです。そのために政治に関心のない人まで血縁・縁・利権・利害・買収などのために投票に動員され、利己的な欲求を惹きつける巧妙な演説をする立候補者が当選してしまうのです。ですから投票率を上げることに意味はありません。政府や自治体は選挙の啓発活動をやめるべきです。
そのために、選挙運動は選挙公報、立候補者が参加する公開討論会などに限り、前記のようなことをさせようとするその他の個別の選挙運動は禁止するべきでしょう。そうすれば選挙資金もあまり必要ありません。志を持った人がそれを気にせずに立候補できます。そして政治に関心のある人だけが投票すればいいのです。
しかし、このような改革に支持が広がっても、上記のような選挙活動で政権を握っている政府等に制度を変えさせることはかなり困難です。上記のような選挙活動を却って強化し、改革を防ごうとすることでしょう。これをどのようにして克服するか。それがかなりの難問となります。