書評 プラグマティズム 著/W・ジェイムズ 訳/桝田啓三郎

 

プラグマティズムをアメリカに広めた哲学者の本だ。若い時から読んでみようと思いながら実際に読む気にならなかったのだが、ある学者が読むべき「古典」としていたので、今更ながら読んだ次第だ。

「プラグマティズム」とは、ウィキペディアによれば、「実用主義、道具主義、実際主義とも訳される・・・元々は、「経験不可能な事柄の真理を考えることはできない」という・・・イギリス経験論を引き継ぎ、概念や認識をそれがもたらす客観的な結果によって科学的に記述しようとする志向を持つ点で従来のヨーロッパの観念論的哲学と一線を画するアメリカ合衆国の哲学」とされている。ジェイムズはチャールズ・サンダース・バースからこの哲学を学んだとしているが、現在普及している「プラグマティズム」はこの本により普及した考え方のようだ。

ヨーロッパ近代哲学批判は19世紀後半から始まっているが、その流れの一つとして生まれたということになるだろう。しかし、「実体的なあるいは形而上学的な意味における「自我」とか「物質」などーそれらの思惟形式の支配を何人も脱するわけにはいかない。実際生活においては、常識的な思惟手段がつねに価値を利するのである。・・・・この自然な思惟の母国語に比べると、その後のより批判的な哲学などは単なる気まぐれな考えに過ぎない。」という言説などを読んでみると、新たな哲学などとは到底言えない、「哲学からの逃避」のように思える。

「世界はじつに鍛えられるものとして存在し、われわれ人間の手によって最後のタッチが加えられるのを待っているのである。天空の王国と同じように、世界は人間の暴力を悦んで受け容れる。人間が審理を産みつけるのである。」という主張には、トランプ米大統領が石油などを掘りまくると叫んでいることと同じ根っこを感じさせる。

読む気をなくさせるような言説の連続だったこの本を読み終えて思ったことは、現在のアメリカ人がとりつかれている思潮が突然現れたのではなく、伝統的なものであることがよく分かり、そのこと自体は収穫だったということだ。

私も近代西洋哲学には疑問を持っているが、プラグマティズムはそれを解く考え方には全くならず、心情的にはどちらかと言えば、前者のほうにシンパシーを感じる。