書評 『革命論』 著/ハンナ・アーレント 訳/森一郎

 この本は高価(7150円)なため、いきなり購入する気になれず図書館から借りて読みだしたが、書き抜く文章が膨大(最終的にレポート用紙14枚になった)になるので結局購入した。英語版は1963年、ドイツ語版は1965年に書かれている。私は昨年発行された後者の日本語訳を読んだ訳だが、米ロ冷戦時代のこの著作が、決して過去の時代を語っているのに過ぎないどころか、現代の民主主義の限界を指摘している彼女の鋭さに驚嘆している。内容は主に独立戦争を含むアメリカ革命とフランス革命についての分析で具体的には今後にしたい。

アーレントは日本では一般的にアメリカ独立戦争としてしかとらえられていないアメリカ独立運動全体を「アメリカ革命」としている。最初は違和感があったが、読み進むうちに、イギリスという立憲君主国に支配された植民地を独立した共和制の国家としたのだから、なるほど革命なのだと思えるようになった。 また、アーレントが前半でアメリカ革命を非常に高く評価している事にも違和感があったが、独立後のアメリカ革命の停滞や、アメリカ特有の風潮の原因を指摘し、今日のアメリカの惨憺たる情況も予言しているような記述に触れ納得した。

 アーレントは、革命はそれに先行する支配体制が無法的であればあるほど、絶対主義的にふるまうことになり、絶対君主制は革命による専制独裁に引き継がれるといういわば運命を負っており、それがフランス革命の帰着で、アメリカ革命との大きな違いだという。 アメリカの場合、支配していたイギリスは絶対君主制ではなく、「制限」君主制であり、独立宣言後に問題となったのは権力をいかにして制限しうるかではなく、いかにして確立するかであったという。そして、フランスにあった貧窮という社会問題がアメリカになかった違いも挙げている。

そのような背景と、アメリカ革命の人びとが相互信頼という考え方を組織的行為の原理として革命を進めたことが「自由の創設」成功の要因として挙げられている。 これに対し、フランス革命は同じように「自由の確立」を目指したが、貧困等の社会問題があったため、目標から外れざるを得ず、貧困にあえぐ人民への「同情」により「多数者の幸福}を目指したためにそれも失敗したという。 そして、「同情」は、暴力的行動へと人民を赴かせるため、政治的には「永続的な制度」を打ち立てることができないというメルヴィルの説を紹介している。

アーレントは、フランス革命はとルソーの、アメリカ革命はモンテスキューの思想に影響されていると言う。 前者については、ルソーが「一般意思」という概念で、国家をたった一つの身体としてイメージしたことが指導者には好都合で、ロベスピエールがたえず「世論」を引き合いに出すときに考えていたことであると言う。そして、この「一般意思」は外の敵の存在を暗黙裡に前提し、それに対抗して国民が一致団結するため、ナショナリズムを産む思想となったとも言っている。

アーレントが、「政治的手段によって人間を貧困から解放しようとする試み以上に、古臭く余計なことはないように思われる。」、「革命が残虐に鎮圧された国のほうが、見た目には革命が勝利した国(中略)、よりも市民の権利自体は大事にされているのが実情」などと述べていることも、先の理論に増して重い歴史の現実なのだろう。 さて、アメリカ革命にはそのような問題はなかったが、彼女はアメリカ独立宣言の幸福の追求に公共性の理念が欠けていたために国民が私利私欲を好き放題に追求する権利があると確信する原因になったと指摘する。

そして、「理論的明晰さが欠如していたことが主たる原因の一つとなって、アメリカ革命は国際政治上、不毛にとどまった」、「そしてついに二十世紀には、アメリカほど、どんなイカサマ的思想にひっかかりやすい国はないことが明らかになった。」と手厳しい。 結局、アーレントはこれまでの革命による民主制の実現には失望しているようだ。それでは我々に明るい未来はないのだろうか。 最終盤に、代表制の問題点に触れ、ジェファソンが「初等国家群」と呼んだ小共同体、パリのコミューンのセクションや人民協会などに期待を述べている。

それは、このような革命が進行する中で存在した共同体に「われわれが思っているところの新しい革命的国家形態の微弱な萌芽以上のもの」が実現したかもしれないという期待だ。ただ、これを結論として述べたわけではない。アーレントは革命や民主主義に絶望しながら一生を終えたのだろうか。