「 虚栄を張ること・偽善的行為・装うこと(パフォーマンス)は何のためにもならない」
それらはすべてありのままの自分を偽った、見せかけの行為だ。そのような行為をする理由は、ありのままの自分を他者に示しても注目されなかったり、軽蔑されたり、嫌われたりするような気がするからだ。その反対に羨ましいとか、多くの人から尊敬されたり好かれたりしている人などを表面的にまね、他者にその人のように思われようとする誘惑に負けてしまっている。その結果、その狙いどおりにできたように思えると常習化し、性格に根付いてしまう。
しかし、観察力のある人にはそのことを見透かされる。また、自分が理想と思った姿は他者にとってはそうではないかもしれない。見せかけた行為が成功しても、そのために嫌われたら何とも馬鹿馬鹿しい。
結局、ありのままの自分で行動するしかない。そのほうが、上記のような人より好感を持たれるかもしれない。この場合の好感は狙っては得られない本当の共感だ。ありのままの行為の評判が悪い場合は、その評判について自分なりに考えてみればいい。そして反省するべきだと思ったら、その自分を変え、それをありのままの自分にすればいいのだ。決して新たな偽りの形を編み出してはならない。
その覚悟さえあれば、いつもありのままの自分を保つことができ、楽に生きられるのだ。