信彦自戒録4

「 虚栄を張ること・偽善的行為・装うこと(パフォーマンス)は何のためにもならない」

それらはすべてありのままの自分を偽った、見せかけの行為だ。そのような行為をする理由は、ありのままの自分を他者に示しても注目されなかったり、軽蔑されたり、嫌われたりするような気がするからだ。その反対に羨ましいとか、多くの人から尊敬されたり好かれたりしている人などを表面的にまね、他者にその人のように思われようとする誘惑に負けてしまっている。その結果、その狙いどおりにできたように思えると常習化し、性格に根付いてしまう。

しかし、観察力のある人にはそのことを見透かされる。また、自分が理想と思った姿は他者にとってはそうではないかもしれない。見せかけた行為が成功しても、そのために嫌われたら何とも馬鹿馬鹿しい。

結局、ありのままの自分で行動するしかない。そのほうが、上記のような人より好感を持たれるかもしれない。この場合の好感は狙っては得られない本当の共感だ。ありのままの行為の評判が悪い場合は、その評判について自分なりに考えてみればいい。そして反省するべきだと思ったら、その自分を変え、それをありのままの自分にすればいいのだ。決して新たな偽りの形を編み出してはならない。

その覚悟さえあれば、いつもありのままの自分を保つことができ、楽に生きられるのだ。




信彦自戒録3

 「人間の価値とは」 

人間の価値とは何だろう。家柄・人種・民族等の生まれついた属性でないことは明白だ。また学歴・経歴・社会的地位などのこれまでに獲得した属性でもない。だから、例えばノーベル賞を授与された人であっても、その人がそれに満足してしまっていたり、自慢したりしていたとすればその人にはもう価値はない。

 人間の価値は現在にしかない。人間の価値は現在の一瞬一瞬の行為にしかない。

ロシアのウクライナ侵略問題

 ロシアがウクライナに軍事侵攻を始めてから間もなく半年になる。
この問題への国際間の対処を見ていると、かつての我が国の中国への軍事侵攻と重なってくる。かつて欧米諸国は我が国に対しABCD包囲網を敷いて経済制裁をし、中国へ武器援助をし、直接交戦を避けながら「代理戦争」をした。これは今回のロシアへの対抗策とかなり似た構造だと言える。
この結果は日本が危機を脱するための対米戦争につながり、悲惨な結末になったことは周知のとおりだ。
今回の欧米に日本などが加わった対ロ対抗策はどうなるだろうか。これが成功し、ロシアが矛を収めることは考えられない。ロシアは石油などの資源が豊富で、日本のような資源の面での危機は縁がない。ロシアからの輸入を控えた国の代わりの輸出先さえ確保できるようだ。食料自給率は全般に高く、禁輸されても同様に他の国から輸入することができそうだ。
一方でドイツやポーランド、北欧諸国ではロシアからの天然ガスに依存していたため、ロシアがこれを止めると危機的になりそうだ。
このような状況では、経済制裁は効果がないどころか、逆効果になり、世界的な原油高、物価高さえ起きている。
また、武器援助は効果があるかもしれないが、武器を供与するだけでは、上記の代理戦争のようなもので、両軍の戦死傷者を増やすことにしかならない。ロシアは軍事大国なので、むしろウクライナのほうが甚大な被害を受けることになる。ウクライナ(ゼレンスキー大統領)の求めに応じることがウクライナの国民のためになるとは言えないのだ。(日本が「防衛装備移転三原則」に反するとして武器だけは供与していないようで、このことは結果的には正しいが、それを他国に呼び掛ける気が全くないのは、常々感じる主体性のなさのためで情けないかぎりだ。)
いまはそんなことはやめ、当事国以外のすべての国が現実的な停戦を検討し、働きかけるべき時なのに、アメリカを先頭にロシアを非難することに終始している。ロシアの侵略は当然非難されるべきことだが、非難するだけでは解決はおろか、悲惨な結果になることは明らかだ。国連はほとんど機能せず、そのような声がどこからも聞こえてこない現状に危機を感じる。

信彦自戒録2

 「レッテル貼りはやめよう」

 人間が人間であることによる心理は共通に存在するが、個性は千差万別だ。人間は男女、年令層、学歴、家柄、血統、出身地、障害の有無・程度、人種、民族、国籍などの属性で区別されがちだが、その中でも個性は一律ではない。属性に多少の傾向はあっても、その傾向にまったく当てはまらない個人もいる。だから、属性にレッテル貼りをすることは愚かだ。人間は人間という共通点があるだけの各個人だ。

信彦自戒録1

 「人間皆同じ」 

 ・ある時の他人は今の自分、今の他人はある時の自分だ。

 ・人にあることは自分にもある、自分にあることは人にもある。

 ・人にできることは自分にもできる、自分にできることは人にもできる。能力差は結果や他人の評価 

  でしかないのだからそれにとらわれることはない。

こう信じることにより、差別、他人への冷淡さ、これらへの仕返し、自分の怠惰の言い訳を防ぐことができる。

意識しなくても自然にそのことを理解している思いやりのある人もいる