ロシアのウクライナ侵略問題 3

 9月21日、ロシアはウクライナの反撃に対抗するために、予備役の動員を発令したところ、ロシア全国各地で抗議デモが行われ、国外脱出をする動きも出ているとのことだ。

先に私はロシアは軍事大国だと述べたが、予想以上にウクライナ軍の反抗が強く、既成の軍では劣勢になったようだ。予備役徴集がどれほど効果があるかはわからないが、計画通りにロシア軍が増強されれば、戦争の惨禍はますます激しくなるだろう。

この際、第三国がするべきことは、ウクライナへの更なる兵器等の供与ではない。これはますますウクライナ軍兵士を死に追いやることにつながる。今後ウクライナ軍兵士をいくら増やしても、人口の多いロシアには及ばないだろう。

今なすべきことは、ロシア国民と連帯し、反戦運動や国外脱出を支援することだ。最近はあまり目立たなくなったが、ウクライナ侵略開始直後、オリンピックなどのスポーツ大会でのロシアやベラルーシ選手排除、欧米や日本でのコンサートでロシア人が作曲した曲の除外、ロシア語案内の非表示等ロシア人差別が始まったが、このような差別はロシア人をロシアという国家から切り離せない人間にしてしまう行為だ。スポーツにおいて、ロシア人選手と対戦したくないという選手がいたら、その大会の主催者はその選手を説得し、対戦させるべきなのだ。

今日、フィンランドが増えてきたロシア人の入国を拒否する措置を発表した。自国の「国際関係を危うくする」ためにこのようなことをすることは許されない。

EU各国はロシア制裁措置のためにロシアからの航空便をすべて禁止しているため、欧州連合(EU)加盟国への最後の直接の陸路が閉鎖されることになったようだ。ロシア国民の国外脱出が増えてきた現在において、ロシア人を受け入れないロシア制裁は、ロシア人の西欧人敵視を強めさせ、上記と同様にロシア人をロシアという国家と一体化させることにつながりる。これは期せずしてプーチン一派の望んでいる方向に向かわせることになるのだ。

今回のことは日米戦争当時にアメリカの日本人移民が強制収容された問題と根は同じだ。「国家」と「国民」は一体ではない。「国民」とは制度上の属性であり、その前に人間なのだ。私たちはそれをわきまえずに差別することが愚かであることをこれまでに学んできたはずだ。ロシア人を同じ人間として対応し、ロシアという国家を単に非難せず、彼らが客観的に自国の政府の行為を批判できるように呼びかけ続け、応じた人をできる限り支援するような行為にこそ人類の展望が開けるのだ。

ただ、現在のロシアで反戦運動をすることは危険を伴うことで、予備役抗議デモにおいても多数の逮捕者が出ている。私は第三国の人たちもその限度を理解し、それをわきまえながら呼びかけるべきだと思う。

続「内密出産」

私は7月31日付のこのブログで「政府が現行法の範囲での対応であっても「違法ではない」という見解を示した(同年2月25日参院予算委員会・後藤厚生労働大臣)ことを機に、慈恵病院のような産院や支援者がつぎつぎと現れ、募金等によりその資金が確保され、全国どの都道府県でも匿名かどうかに関わらず出産支援が受けられるようになることを期待しています。」と述べました。

昨日(2022年9月29日)、東京で開設予定の産院が、慈恵病院と同様に、親が育てられない子どもを匿名でも預かる「赤ちゃんポスト」を都内に設置する構想を進めていることがニュースで報じられました

国のこのためのガイドライン(指針)を近く発出する動きがあり、このことを踏まえて決断ができたようです。これに続き、少なくとも各都道府県に1カ所はこのような産院や病院ができるといいと思います。

ただ、これにはかなりの人的な負担、費用負担が必要です。そのために意思は有っても実施に踏み切れない産院や病院があると思います。ですから、上記にもあるように、その費用を援助する仕組みが必要です。支援基金を設立され、そこに多くの募金が集まり、資金援助体制ができることも必要なことだと思います。

妊娠してしまったけれど育てられない女性のために、出産支援施設がどんどん増え続けると共に、女性の権利を支援・保護する団体の皆さんが支援資金を含む支援制度の確立に乗り出してくれることを期待します。

安倍元総理国葬について

 2022年9月27日、国葬に多くの抗議が上がったのにもかかわらず、2022年9月27日、安倍元総理の国葬が予定通り実施された。実施を発表した以上、やめるわけにはいかないことは誰にでもわかることだろう。しかし、大事なことは、このようなことを空しい気持ちで忘れるという、これまでの繰り返しをいつまでもしていてはならないということだ。それこそ現在の為政者が認識している国民の姿そのものなのだから。

まず、岸田首相が述べた国葬実施の理由とその背景はしっかり記憶しなければならない。

もっとも重要な理由は、「憲政史上最長の在任期間」ということだったが、これは国民が直接そうしたわけではなく、自民党に、代わりになる人材がいなかったということを表しているに過ぎない。事件後も安倍派は党内最大派閥を保っており、このことが国葬とせざるを得ない大きな理由でもあるわけだ。いわば、自民党内の内部事情で国民の税金を使ったということであり、国葬に対する世論調査にもそんな国民の実感が現れていた。

森友学園、加計学園、桜を見る会など疑惑は数知れず、とぼけて否定すればいいという姿勢を貫き、自殺者まで出ているのに何の責任もとらず、むしろ部下に責任を押し付け、「忖度」という言葉をはやらせたようなあからさまな官僚支配をしてきた偽善的で傲慢な人間に日本の方向を決めさせてきたことは、そんな自民党に投票してきた国民自身の問題でもある。

国葬実施の他の理由は、「内政、外交で大きな実績」、「国際社会から大きな評価」、「蛮行による死去に国内外から哀悼の意」ということで具体性がない。

最後の理由について言えば、「蛮行」により殺されるような「愚行」をしていたことを考えると笑止千万としか言いようがない。事件以来、旧統一教会による被害が次々と明らかにされ、全国的な問題となったため、狙撃犯が旧統一教会の信者二世から密かに英雄視されているのではないかと思われる中、そのことに一定の責任がありそうな安倍元総理の国葬が行われるといういびつな状況になったことを私たちは今後もずっと忘れてはならない。


旧統一教会の問題について

 安倍元総理の暗殺の動機となった旧統一教会の問題がクローズアップされ、宗教をめぐる議論が提起されているが、宗教はこのブログテーマと関連する大きな事柄だ。「存在」をめぐる不可思議で不安な感覚は、ユダヤ教の聖書(キリスト教の旧約聖書)のように「神が創った」と言えばわかりやすく、そう信じて不安が解消される人も多いだろう。それから、生きていく上での苦悩に対し、宗教者が「神の教え」をアドバイスすることで多くの人が救われたという気持ちになることだろう。その意味で宗教が社会に役立っていることは認める。私も素晴らしいと考えている内容の(神のではない)「教え」は数知れない。

しかし、宗教はその救済を与えるだけでなく、その人の依存心を利用して信者とさせ、その宗教への継続的な関係を求める。その宗教なしでも自立していけるようには決してせず、そのような信者を増やそうとする。そこに「人間」は存在せず、「信者」だけが存在する。私は、これが宗教の本質だと思う。信者が多くなると社会への影響力がついてきて、教祖やその後継者に野心があるとあらぬ方向に向かいがちだ。旧統一教会がそうだとは言わないが、中にはその野心のために創られた宗教さえありそうだ。

私はあえて存在の不安をいつも抱えながら生きてこそ、本当の人間同士の共感が得られるのだと思う。悩む人にアドバイスしてやることは必要だ。その際、その人が今後も悩むことがあっても自分自身で解決できるようにするべきなのだ。

ロシアのウクライナ侵略問題2

 最近、ロシアが愛国教育を強化し、国旗掲揚や国歌斉唱を学校に義務付けたというニュースが流れていた。日本の戦前教育を思わせる政策で、戦後は植民地の独立運動以外にそのような動きはあまり聞こえていなかったので、私は当初、このような動きはアナクロニズムだと感じたが、ロシアの歴史やナショナリズムについて考え合わせると、今回のウクライナ侵略の問題の原因も見えたように思われてきた。

歴史的にはロシアは帝政の時代から社会主義革命によって、国際主義的な国家(体制)のソビエト社会主義共和国連邦の一国になった。そのため多くのヨーロッパ諸国が、専制的な君主制国家を国民主体の近代国家に変革し、均一の文化や民族などの一体感を味わうナショナリズムを謳歌したのに対し、ロシアはそのような段階を経ていない。

ロシアの帝政時代の状況については、ベネディクト・アンダーソン「定本 想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行」に詳しく述べられている。

(P148)「一八世紀のサンクトペテルブルグの宮廷語はフランス語であり。一方の地方貴族の多くはドイツ語を使っていた。ナポレオンの侵略の後セルゲイ・ウバーロフ伯は一八三二年の公式報告書の中で、王国が専制、正教、ナツォナルノスト(ナショナリティ、国民性)の三原則を基礎とすべきことを提案した。これら三原則のうち、最初の二原則むかしからのものであったのに対し、第三の原則はきわめて新しく(中略)そして「国民」の半分がまだ農奴で、また半分以上がロシア語以外言語を母語としていた時代には少々時期尚早であった。」

(同P149)アレクサンドル三世の治世(1881~94)になってはじめてロシア化は王朝の公の政策となったが、それは帝国領内においてウクライナ、フィン(筆者注・フィンランド)、ラトヴィアその他のナショナリズムが出現したずっと後のことだった。

(同P149)1887年、ロシア語が、バルト海地方すべての国立学校において最低学年から授業の言語として義務付けられ、やがてそれは私立学校へも適用された。

またロシア革命について同書は、

(同P149)そしてシートンワトソンは、以下のようなことまで主張する。つまり1905年の革命は、「労働者、農民、急進的知識人の専制に対する革命であったばかりでなく、非ロシア人のロシア化に対する革命でもあった。二つの反乱はもちろん関連していた。実際、社会革命は、ポーランド人労働者、ラトヴィア農民、グルジア農民を主役として、非ロシア地域で最も激烈であった。」

つまり、ロシアでは帝政時代末期に「上からの」ロシア化の政策を始めたようだが、帝政下であったためにロシアナショナリズムは国民的なレベルには至らなかったのではないだろうか。

これは仮説だが、私はナショナリズムとは、エゴイズムの共同化でしかないにもかかわらず、国家としての一体感を味わったことが、良い結果(大英帝国の繁栄、日本の近代化、植民地だった国家の独立等)であれ悪い結果(日本やドイツの第2次世界大戦の敗戦等)であれ、その国民がアイデンティティを確立するために一度は経験しなければならない、言わば必要悪または通過儀礼のようなものだと思っている。

現在のロシアという国家は前世紀末に突然生まれたばかりの国で、上記のような事情により近代国家としてのナショナリズムを経験していないため、かつて兄弟のような関係だった国で反露的なナショナリズムが起きていることに対して、なされるままにされている誇りのない自国にプーチン一派は我慢ができなかったのではないだろうか。特に今回のウクライナ侵略に際しこのことを痛感したのだろう。そのため改めて「近代国民国家」として「上からの」ナショナリズムの提唱を始めたのだろう。これが、プーチン一派だけでなく、今後、ロシア国民にどれだけ支持され、「下からも」ナショナリズム運動が起き、国民一般の感覚になるかどうかが今後の大きな問題となると思われる。アイデンティティーを確立できない不満がどれだけロシア国民に共有されているかということにかかっているのだろう。