旧統一教会の問題について

 安倍元総理の暗殺の動機となった旧統一教会の問題がクローズアップされ、宗教をめぐる議論が提起されているが、宗教はこのブログテーマと関連する大きな事柄だ。「存在」をめぐる不可思議で不安な感覚は、ユダヤ教の聖書(キリスト教の旧約聖書)のように「神が創った」と言えばわかりやすく、そう信じて不安が解消される人も多いだろう。それから、生きていく上での苦悩に対し、宗教者が「神の教え」をアドバイスすることで多くの人が救われたという気持ちになることだろう。その意味で宗教が社会に役立っていることは認める。私も素晴らしいと考えている内容の(神のではない)「教え」は数知れない。

しかし、宗教はその救済を与えるだけでなく、その人の依存心を利用して信者とさせ、その宗教への継続的な関係を求める。その宗教なしでも自立していけるようには決してせず、そのような信者を増やそうとする。そこに「人間」は存在せず、「信者」だけが存在する。私は、これが宗教の本質だと思う。信者が多くなると社会への影響力がついてきて、教祖やその後継者に野心があるとあらぬ方向に向かいがちだ。旧統一教会がそうだとは言わないが、中にはその野心のために創られた宗教さえありそうだ。

私はあえて存在の不安をいつも抱えながら生きてこそ、本当の人間同士の共感が得られるのだと思う。悩む人にアドバイスしてやることは必要だ。その際、その人が今後も悩むことがあっても自分自身で解決できるようにするべきなのだ。