書評 隠された奴隷制 著/植村邦彦

 

 奴隷制というと、まずアメリカ合衆国のかつての黒人奴隷制が思い浮かぶが、現代の賃金労働者も奴隷であるという論旨の著書だ。しかもこのような言説は、ルソーやマルクスも唱えていて、決して最近生まれたものではないということが、述べられている。ただ、ルソーの場合は、政治的隷属に主眼があったそうだが・・・

 そして、このアメリカでの奴隷制がイギリス(イングランド)の産業革命の資本蓄積を生み、アメリカでの黒人奴隷制度がなければヨーロッパにおける資本主義は生まれなかった、という言説が、マルクスなどを引用しながら述べられている。浅学のため、この関連については全く考慮外だった。

 論旨に戻ると、賃金労働者は制度的には自由に職業を選択し、生活の糧を得ているように思えるが、経営者に操られ、職を失わないために隷属せざるを得ないので、やはり奴隷なのだということだ。

 アダム・スミスやヘーゲルは自由な賃金労働者を賛美しただけだったが、ジョン・フランシス・ブレイやマルクスがこれを批判したことが述べられた後、20世紀後半に起きた社会主義国の自壊による冷戦の終結後に盛んになった「新自由主義的反革命」により、特に日本で、「個人の自助努力」、「自己責任」、「自己啓発」などといった「強制された自発性」により労働者の奴隷化が進み、その結果が「過労死」の激増となったという。

 私は、過労自殺のニュースに触れるたびに、なぜその人はその職場をから離脱するのでなく、自殺に至ったのかという疑問が頭から離れなかったが、納得のいく論旨だった。なるほど、彼ら、彼女らは、自分の能力が足りないせいと思い込まされていたから、不当な労働時間を拒否できなかったのだ。

最近、人間が家畜化していくという危機が少なからず叫ばれているが、これは上記のような「隠された奴隷制」による結果であるように思えてくる。

 著者は、このような状況下の賃金労働者に、熊沢誠の表現を借り、「「会社のため」ではなく、「自分の生活のため」に働くのだという確固とした意志」を持ち、定時に帰るために上司の指示を断る行動を呼びかけている。そして、「「自己責任」という呪文」の正体を見抜くべきことを呼びかけている。