この事件から主に自民党の政治家の旧統一教会(世界平和統一家庭連合、以下教団)との癒着関係が明らかになり、献金被害者への損害賠償が始まり、同教団の解散命令が東京地裁で決定されるなど、大きな社会問題となったにもかかわらず、2026年1月21日、奈良地裁は、単なる殺人事件のように矮小化した判決理由で、山上被告に無期懲役判決を言い渡した。
結果的にかもしれないが、安倍氏の殺害は、教団幹部を殺害するより、この問題を社会に問うという意味で効果は比較しようもなく大きかった。判決理由のように、「殺害を正当化できるような落ち度が安倍氏には見当たらな」ければ、こんな現象は起きなかったことだろう。安倍氏には落ち度どころか、責任があったのではないだろうか。
安倍氏が教団の友好団体にビデオメッセージを寄せたことを、山上被告が、安倍氏を教団と政治の関係の中心ととらえたと述べているのに、これを自己都合で教団幹部の代わりに安倍氏を襲撃したとし、安倍氏は不運な罪のない被害者であるかのようにしてしまった。また、自民党と教団の相互関係がこの事件後次々に明らかになったことをなかったことのようにしてしまった。
私は、殺人が許されない行為であることを否定しているわけではない。しかし、殺人者を一律に非難することはできない。その殺人にどのような背景があったかについて、他人事とせず、そのような状況、境遇に自分が置かれたらどのようにするだろうと、すべての人が考えるべきだ。判決にかかわる人たちはこのことを改めて認識するべきなのに、裁判官や裁判員の他者認識の甘さ、モラルの希薄さにはあきれる。全国霊感商法対策弁護士連絡会の弁護士が出廷し教団による献金被害の実態が述べられたが、裁判員たちからはほとんど質問がなかったようだ。
少年時代からのつらい経験が成人となっても影響している被告に対し、「長年ため込んだ負の感情を内心で健全に解消したり、合法的な手段での解決を模索したりせず殺人を選んで実行した」、「既に40代を迎えた自立した社会人」なのだから、人を殺してはならないという社会規範を身に付けていて当然、というような見解はあまりにも冷酷で安易なものだ。
被告に厳しい見解を持つことは簡単だ。このような判決を言い渡す裁判官は無難な法曹として評価され、上級庁への出世コースから外れることはないだろう。自分の良心を殺して行動することが成功の常識となっているこの社会、人間が家畜化されていると評されるこの世界では常に起こる現象だ。
一方で、教団は損害賠償請求に応じなければならなくなっているようだ。金銭的な解決だけでは済まない問題もあるが、被害者たちは絶望的な状況から救われた思いを抱いていることだろう。被告自身は意識していなくても、被害者たちを代表して被害者救済への道、教団の活動を止める道を開いたことは確かなのだ。被告は深く反省しているようなので控訴しないかもしれない。控訴せず、この不当な判決が確定された場合は、被害者たちを筆頭に、減刑嘆願などを広範に繰り広げよう。