書評 トランスクリティーク カントとマルクス 著/柄谷行人

 著者の柄谷氏自身が、この著書について「難しい本」だとインタビューじんぶん堂企画室)で語っているとおりの難解な本だが、彼は、カントやマルクスの著書についてのポイントをついた引用をし、具体例を挙げながら、彼独特の解釈もあるとは思うが、丁寧な腑に落ちる解説をしてくれているので、なんとか読み通すことができた。しかし、内容が濃いため、脳が煮詰まり、続けて読めるのは2時間がせいぜいだった。 

正直言って、カントの著書は全く読んだことがないのでピンと来なかった。マルクスについては、『共産党宣言』、『ヘーゲル法哲学批判序説』、『ドイツ・イデオロギー』等の小冊子のみで、『資本論』については断片的な解説しか読んでいなかったが、彼の『資本論』の解釈は納得でき、参考になるものだった。

さて、この著書は注まで含めると500頁を超える大著であるため、ここで全体について触れることはできない。以下、私なりに理解したマルクス解説について述べる。

結論からいうと、資本主義の仕組みの労働者搾取だけでなく、交換過程に注目するべきであり、そうすれば、これまでのマルクス主義者による資本主義の捉え方では抜け出すことができなかった、資本=ネーション(共同体、集団)=ステート(国家)という三位一体のリングの出口を見出すことができる、ということを彼はいいたかったのだと思う。これを彼は、マルクスが『資本論』で、「産業資本の剰余価値は、たんに労働者を働かせることによってではなく、(総体としての)労働者が作ったものを労働者自身が買い戻すことにおける差額から得られる」と述べていることを引用しながら導き出している。労働者からの搾取ばかりを問題とした労働運動のみの抵抗運動は結局、資本の力に対抗できず、社会的な広がりを期待することもできないため行き詰まる宿命にあるのだという。

 

このことが、エンゲルス以降のマルクス主義者には理解されなかったから、ソ連の様な集権主義的な社会主義国家が生まれ、その後、衰退したのだろう。この辺を読んでいると、アレントの『革命論』におけるマルクス批判が極めて表面的なことをつくづく感じる。

そして柄谷氏は、この交換過程への注目から、「アソシエーション」という思想をもとに、労働者が「買わない」ということにより資本を脅かすことができる消費者運動を、労働運動と連携させることが有効な資本経済への対抗運動となると述べ、具体的には協同組合で生産、消費を管理すれば資本主義を揚棄することができるという展望を述べている。

彼の、交換過程への注目や「アソシエーション」への言及、消費者運動と労働運動の連携については目新しいものを感じる。しかし協同組合による資本主義揚棄は頷けない。現在、消費者協同組合は存在するが、資本に対抗する運動母体になるようには見えない。生産協同組合はこれまで西欧等で生まれたがほとんど消滅しているようだ。柄谷氏は、1990年代以降、「世界商品」が、巨大な資本による耐久消費財生産から、情報産業に移行しつつあるので、今後、生産協同組合がそれを担える状況が生まれているとしているが、そもそも、そのような運動は起きるような気配はない。

柄谷氏の言説は、20世紀初頭だったら有効だったかもしれない。経済的に悲惨な状況が過去に比べて軽減されている現在、社会民主主義的な改革が一定程度浸透している現在、どのような人々がそのような運動を起こすのだろうか。この状況は社会民主主義を批判しても打開できない。     現在の危機は、地球環境問題や人間が、消費や娯楽の奴隷のようにされていることにあるのではないだろうか。彼は、資本主義的商品経済の限界として、自然環境と人間を自ら作り出せないこととしている。これについては「後に述べるように」とあるので探したが、具体的な言及は見つからなかった。私の読み方が足りないのかもしれないが、残念だった。

今、必要なことは、目に見えにくいが確実に人類を滅亡させるようなこの危機を、多くの人々に気づかせることではないのだろうか。それがなければ資本への対抗運動は起きないだろう。

もうひとつ気になることがある。それは斎藤幸平氏にもいえることだが、柄谷氏も多くのマルクス研究者と同じように、「マルクスは○○といっている」という論理に囚われていることだ。マルクスが偉大な思想家であることに、私も異論はない。しかし、あくまで優れた一人の思想家として捉え、その優れた考え方を学ぶというスタンスを保持するべきだ。そうでないと、マルクスの崇拝者でしかないか、自分の考えをマルクスに権威づけてもらうようなことになってしまう。要は、自分が現在感じていることを表現するべきなのではないだろうか。そうすれば、今、ここにいる人々に響く言論になるのではないだろうか。