書評 体の居場所をつくる 著/伊藤亜紗

 10人の難治性の病を抱えている人と、一人の在日の人へのインタビュー集だ。

私は、いわゆる「心と体」という問題をどうとらえるべきなのかをずっと考えている。この著書は、心にとっての体の様々なありようを知るうえで貴重なものだと思う。

在日の元在日コリアン以外は、ダイエットや過食が原因の摂食障害、脊髄性筋萎縮症(SMA)、ナルコレプシー(睡眠障害)、ALS(筋萎縮性側索硬化症)、脳脊髄液減少症、身体症状症、コロナ後遺症による筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)及び副腎機能不全、皮膚と関節が壊れ続けるPAPA症候群など様々な難病と闘病中の人にインタビューをしている。いずれの例も、医療だけでは解決せず、闘病者による病気の客観化が必要であるようだ。この闘病者たちの「パーソナルな」取り組み方、認識にも目を開かされるが、著者はその取り組みかたを丹念に聴きだし、明晰に分析・表現している。

なんといっても示唆に富むのは最後の今泉美佳さんのPAPA症候群の例だった。この病は「皮膚と関節が壊れ続けて」いき、化膿した皮膚が「腐る」と自身が表現する、世界に1000人くらいしか例のない、なんともおぞましい難病で、彼女は4歳に発病したという。それから彼女は様々な病院で検査を受けたが、「大学病院でもこんな症状はない」などと、「できることを探すというよりも、病気そのものを否定するようなお手上げの宣言」を発するような状態で、「医学に対する諦めと不信感が感じられ」る、と著者は述べる。

思春期には、「なんで私がこんな思いをしなきゃならないの」という怒りを父親にぶつけていたが、それを受け止めていた父親がトイレで泣いているのを聞いて、当たることはやめ、「「明るく痛みを伝える」ようになった」、それは「自分の大切な人に痛みを伝えることで、その方の悲しい顔を見たくない」という気持ちになったからだという。

その後、仕事も出産も経験し、現在40代に差し掛かっているとのこと。痛みも強いのに、彼女からは、「壊れていく体に対して、先回りしてそれが起こらないように制御しようとする介入的な意思」を感じられず、「どこか、「体は体、私は私」と割り切れないものを割り切る距離感がある。」という。 

その割切りは、彼女が経験の中で身に付けた、「自分の痛みは決して他者には伝わらない」という「痛みの私秘性とその共有不可能性」の認識が、「逆説的にも、「この痛み」が「私の痛み」でなくな」ったこととつながっているという。

そして彼女には、「「自分が死なないこと」が投げかけるメッセージ」、「生かされている」「与えられたもの」、「「そこには理由がある」という感覚が生じているといい、著者は「理由があるという感覚は、・・・「生の理由」を問う物語に変わったとき、その信念は美佳さんにとって、自分の体を置く居場所になっていったように思います。」と述べている。これこそ著者がこの本を著したかったことなのだろう。

医療に不信感を抱いていた美佳さんだが、整形外科的な処置は受け入れられたようで、インタビューの2年前に人工関節を入れ、人生で初めて痛みのない体を経験し、「「これが生きることなの?」と実感し」、「あれもやりたい、これもやりたいってどんどん気持ちが出てくる」という。求道者の様に生きてきた美佳さんが人間らしい喜びも感じられるようになったことに、ほっこりした気持ちになる。

この著書には、以上の闘病している人へのものと、例外的に病気ではない在日の女性へのインタビューが掲載されている。人が個人としてではなく国籍や人種として見られるということは、「社会的な問題であると同時に、身体的感覚として経験される」と語っているが、私にはこのインタビューは他のものとあまりにも異質で、この著書に掲載されている意味が分からなかった。

むしろ、この著者には、機会があれば、トランスジェンダーの人にインタビューし、この人たちの体の居場所について聴きだしてほしい、特に美佳さんの「与えられたもの」という感覚について、その人たちがどう応えるかを知りたいと思った。