書評 パレスチナ/イスラエル論 早尾貴紀著

 

この著者の『ユダヤとイスラエルのあいだ』に続いて購読した。第Ⅰ部は前著で触れていた「ディアスポラ」について深堀している。この中で、早尾は、この言葉は「国民国家という一体性からの「逸脱」であることを指し示す。」として、ヘーゲル左派、アーレントらの民族論や国家論を批判的に解説している。

そして、早尾が評価している、イラン・パぺというユダヤ人で反シオニストの歴史家が、シオニストがパレスチナのアラブ人を殺害・追放する行為を「エスニック・クレンジング」だとして批判していることを紹介し、イスラエル建国後、3割程度しかいなかったユダヤ人の割合(現在は約8割)を極大化するために、ユダヤ教徒のアラブ人の中東から移民を導入したにもかかわらず、シオニストが彼らを「人種としてのユダヤ人」だという主張をしたことを批判している。

そう言いながら、イスラエルでは、ヨーロッパ系移民が「アシュケナジーム」として国内の主導権を握っている中で、中東から移民した人たちは「ミズラヒーム」と呼ばれて下層におかれ、イスラエル国内に人種格差があるとのことで、二枚舌的なシオニストの現状にも目を開かされる。

また、イスラエル建国後のパレスチナの惨状に触れ、「皮肉なことに、かつてはもっぱらユダヤ人の離散状況について語られてきた「ディアスポラ」は、現在、パレスチナ人の措かれている状況を概念化するのにひじょうに適している」と、ここでも「ディアスポラ」の概念がユダヤ人の専売特許ではないという皮肉を述べている。

さらに、建国前からアーレントらが唱えていた、「バイナショナリズム」のオスロ合意による変遷、サイードのバイナショナリズムとディアスポラにかかる引用しながら、「ディアスポラ的思考は、(ジャン・)ジュネとサイードを媒介としながら、「アイデンティティの根源的な他者性」にまで至りつく」としている。

第Ⅱ部では、ユダヤ人やアラブ人の映像作品等を紹介しながら、シオニズム等の批判、反シオニズムの評価が述べられている。

第Ⅲ部では、パレスチナの一般に知れていない、これまでの経過や現状が詳しく述べられている。一例をあげる。ユダヤ系アメリカ人、サラ・ロイの著書の引用によると、1995年に結ばれた暫定自治協定=「オスロⅡ」の内容は、ガザ地区やヨルダン川西岸地区はパレスチナ人の地域とされていても、行政権と自治権がともにパレスチナ側にあるA地区、行政権のみのB地区、どちらもイスラエルが握るC地区という区分分けがされていて、BC地区は合計83%を占めているとのことだ。現在のガザ地区への軍事侵攻を考えると、ほとんどの地域がイスラエルの管理下に置かれることになりそうだ。一昨年のハマス(早尾は「ハマース」としている)の越境攻撃以前から頻繁に起こされていたイスラエルのパレスチナ人への迫害・虐殺も詳しく述べられていて、パレスチナの人びとの切迫感、絶望感がひしひしと伝わってくる。

日本ではあまり報じられていないことだが、2006年のパレスチナ総選挙でハマスが政権を取っても、イスラエルと日本を含む欧米諸国はその内閣を承認せず、ファタハを支援したため、ハマスはファタハとの連立内閣を組んだのに、イスラエルはファタハに銃や弾丸を大量に供与して内戦を促して、ファタハにヨルダン川西岸地区を容易に制圧させたことから、パレスチナはヨルダン川西岸地区とガザ地区に分断され、そのガザ地区に対し、イスラエルは経済活動等を不当に制限する「反開発」政策を進めているそうだ。このようなイスラエルのガザ地区への締め付けがあったことも、上記の越境攻撃の原因として認識しなければならないことだろう。それにしても、自国のために、同じ民族を分断し対立させるという卑劣な行為をしたイスラエルという国は、恐ろしいほど非情な国だろう。

このような状況に対し、早尾は(ロイ以外の)「多くの研究者たちは分析能力に欠けるのか倫理に欠けるのか、あるいは政治的になることを避けているのか(沈黙によってイスラエルの占領を容認することも充分に政治的だと思うが)。ともあれ、ロイが、事後的にしたり顔で解説を加えたり、慌てふためくような研究者などとは一線を画して、リスクを冒しても然るべきタイミングで踏み込んだ発言をしていることが確認できる。」と述べていて、彼の苛立ちやロイを擁護したくなる気持ちがひしひしと伝わってくる。

早尾は、このような状況を述べながら、日本の思想状況についても批判していて、「イスラエルであれ日本であれ、それぞれユダヤ人中心主義と日本人中心主義を解体するには、徹底した歴史認識から出発するほかない。イラン・パぺから私たちが学ぶべき教訓はここにある。」と、この著書を結んでいる。