書評 たまたま、この世界に生まれて 半世紀後の『アメリカ哲学』講義 著/鶴見俊輔

 鶴見俊輔は、60年安保やベトナム反戦運動などを主導した戦後知識人として有名な哲学者だ。まちライブラリーで見つけたこの著書の、メインタイトル、サブタイトルに興味を惹かれて読んでみた。

この著者は、1950年に『アメリカの哲学』という著書を発行していて、2007年に発行された今回の著書は、1950年当時からのアメリカ哲学つまりプラグマティズムについて開かれた4回の講義、というより7人の受講者との談話会を記録したものなので、このサブタイトルとなったようだ。

私はプラグマティズムにかねてから疑問を持っており、その批判論を読んでみたかったが、その意味では期待を裏切られた著書だった。

しかし、鶴見の境遇、人間性、彼が交流してきた知識人たちの言説などが率直に語られていて、その意味では収穫があった著書だった。

母方の祖父は明治・大正時代の政治家・後藤新平で父も政治家という家族の中で育った鶴見は多感な少年だったのだろう、中学校を2回退学するという、自称「不良少年」だったとのこと。しかしその後、日本の共通一次テストのようなUSA(鶴見はアメリカという国名は曖昧だからということでUSAとしている)の試験に合格してハーヴァード大学に入学という驚くべき経歴を記すことになる。同大学では「点取り虫」で「一番病」にかかっていたという。さらにその後は、1941年の日米開戦により捕虜収容所に入れられながら大学を卒業し、日米交換船での帰国たとのことだ。その後の文筆活動については割愛するが、結婚後、鬱病に苦しんだ時期もあったとのこと。

さて、鶴見のプラグマティズムの定義はという講義参加者の質問に鶴見は、「今の主張を実験として確かめてみたらという実験計画が、言葉の意味だ」、「概念というのは自分が考えている実験計画なんだ。」とし、「プラグマティズムは言葉の意味を行動に形にしてとらえる方法」、「(プラグマティズムは)特殊と普遍を切り離さないっていうやり方・・・カントにはない」等と述べているが、いずれも断片的で総体的なプラグマティズム解説にはなっていない。

一方、プラグマティズムの弱点について、「プラグマティックな思想を受け入れる人は妥協しやすい。・・・逆風が吹いているときプラグマティズムの側は、それに対する抵抗を貫くことが相当に難しい。」と述べているが、その理由は説明していない。別の個所で「プラグマティズムは、哲学として特別に強い一本の心が通った思想じゃないんですよ。」と述べているが、それがその理由に当たるのかもしれない。

プラグマティズムの日本への影響にも触れていて、(西田幾多郎は)「座禅を組んでは、ウィリアム・ジェイムズの著作を読んだ。こうして彼はジェイムズの『根本的経験論』に触れ」たが、これは認識論なのだが、西田は「価値で色づけられた概念として読ん」で、それが純粋経験として西田に理解された、というエピソードには興味を惹かれた。その解釈はともかく、京都学派の「近代の超克」論議も、プラグマティズムと同様、近代西欧哲学批判という潮流から生まれたのであろうという認識を確かめた。

プラグマティズムとは離れて、「キリスト教会は本体論的な証明があって、神は完全だから、存在を含んでいるって言うんです。・・・それは日本の国体論と違うとは言えないでしょう。案外、日本の国体概念も岩倉ミッション(岩倉遣外使節)がヨーロッパに行って、そこから密輸してきたのかもしれない。キリスト教国家の特性を日本で採用したから、ああいう形になった。」、と述べている。あくまで推論なのだろうが鋭い発想をする鶴見に感心した。