岩見外相が昨日、記者会見で、正式にパレスチナの国家承認を見送ることにしたとを述べ、その際、22日に開かれる予定の、国連のパレスチナ問題解決のための国際会議に日本政府は欠席する方針を改め、自らが代表として参加するとも発表したとのこと。欠席では、アメリカに逆らえないことがあまりにも明白になってしまうからなのだろう。果たして参加して、日本独自の理由説明ができるだろうか。記者会見の際に、18日付で記した、「承認するとイスラエルが態度を硬化させ、パレスチナのガザの情勢が一層悪化する」というアメリカの懸念を、その理由としているようだが、そのままに理由付けを説明したら、欠席したほうがましだったということになりそうだ。22日からの会議での論議の経過、結果を注目しよう。
難しそうなタイトルですが、観念的にならないよう、日常的なことばで共に考えましょう。 私たちはある時ふと気がつきます。私ってなんだろう、私はなぜここにいるのだろうと。この問いに答はありませんが、このことを問い続けることにより、これは私だけでなく、私たちすべての人間が感じていることだということを信じることができれば、それは、運命を共にする類としての人間の自覚、他者への愛につながります。 そんなことは感じたことも考えたこともないという人は、それにまだ気が付けないだけなのです。
日本政府はアメリカの要請に屈せずパレスチナ国家を承認せよ 2
案の定、パレスチナの国家承認に関し、自民党政権はアメリカの要請には抵抗できないことが報道されている。
承認するとイスラエルが態度を硬化させ、パレスチナのガザの情勢が一層悪化するという、理由とは言えない理由のアメリカの主張に逆らうことを恐れる卑屈な態度と言わざるを得ない。22日に開かれる予定の、国連のパレスチナ問題解決のための国際会議には欠席するという。今や、イスラエルとアメリカは孤立しつつあり、世界がパレスチナの惨状を打開するために、パレスチナの国家承認に動き出している時に、ただアメリカにつき従っている状態では恥ずかしくて参加できないのだろう。
マスコミの皆さんは、この件で日本政府が忘れてはならない恥ずべき判断をしたことを国民に周知し、国民間でこれについての大きな論議が巻き起こるようにしてほしい。
国会においては徹底的に論議してほしい。その際、野党はこれまでのように与党を安易に非難する論調に流れず、与党の、国家承認がガザ情勢を悪化させるという理由付けについて、明確な説明を徹底的に求めてほしい。説明の疑問点を深く冷静に追求すれば、理由付けが支離滅裂であることが誰にもわかるはずだ。適切な問いかけは、相手にも疑問となる理由を再検討させるかもしれない。例えば、アメリカを怖がることが妄想のようなものであることが共有できるかもしれない。
それから、上記のような日本政府の行動を許しているのは我々有権者だということを改めて自覚することが必要だ。こんななかで、自民党は次期総裁選にばかり熱中しているが、誰が次期総裁になるにしても、自民党に投票することはパレスチナ・ガザ地区の虐殺に加担することに他ならないことだ。次の総選挙までに、イスラエルはさらなる虐殺を尽くし、ガザ地区制圧は完了しているかもしれないが、日本の有権者は最低限、投票行動でイスラエルの虐殺行為を許さないことを示してほしい。
書評 家族、この不条理な脚本 著/キム・ジヘ 訳/尹 怡景(ユン・イキョン)
この著書には、「家族神話を解体する7章」というサブタイトルが付けられていて、「家族神話」は私が取り組もうとしているテーマなので読んでみたくなった。
家族制度について、韓国は日本と似た状況にあり実情を述べながら、ヨーロッパの家族状況にも触れていて、ファミリーの語源のラテン語・ファミリアは、妻子や奴隷を含む、「家長に属する所有物を意味」していて、現代の家族とは異なっていた、とか、ジョン・スチュアート・ミルが、「結婚こそ、イギリスの法律におけるただ一つの現実的奴隷制度」と述べていたという興味深い挿話もあった。
韓国では、日本の植民地時代に制度化された家制度や戸主制度の影響が最近まで残っていたが、世界的な潮流になってきている同性婚などを主張する人々が増えつつあり、伝統的な家族制度が揺らいでいるとのこと。
これと日本より深刻な少子化問題を結びつけて、同性婚を憂慮する層があるが、これについては、同性婚に寛容な国では逆に出生率が高いというデータを示し、反論している。さらに、「もしかしたら、これらの国では、人がどのように生まれたかには関係なく、平等な生活を保障するための社会づくりを進めてきたという意味ではないだろうか。」と述べているが、ここは想像ではなく、子育てを社会化している具体的な制度調査や判断が欲しかった。
この著者は、家族において、「生計の維持について責任を負う人が必要」ということは、「生物的な性としての男性の存在が必要ということではない」として、「家族神話の解体」を試みたり、いまだに「家族の失敗」をした人たちだけが社会保障の対象であることを不当としたりしているが、家族という制度は、人びとがやむを得ずに形成したに過ぎず、神話はそれを維持するために作られたものに過ぎない。だから、現在の家族に対する考え方を批判してもあまり意味がないと思う。むしろ、家族というものはそのようなものだと受け入れ、そのうえであるべき社会、性等を考えるべきだろう。
その意味で、最後に、ヨーロッパから広がりつつある同性婚について、「家族の意味を更新すべき時代に、同性婚を求める主張によって、むしろ既存の家族制度を再び延命させるのではないかという懸念」があると述べていることには同感だ。男女間に生まれた子を、その当事者に養育を義務付けるために現代まで続いてきた婚姻制度やそれに付随した諸制度を絶対化し、同性間にも適用しろという要求は、安易な平等主義ではないだろうか。人間にはパートナーガ必要だとすれば、婚姻制度は廃止し、著者がここで述べている「民事連帯契約」や「同居」制度を採用すればいいのではないだろうか。
日本政府はアメリカの要請に屈せずパレスチナ国家を承認せよ
パレスチナのガザ地区に対するイスラエルの暴虐極まりない攻撃は、20世紀のナチによるユダヤ人虐殺に匹敵する民族浄化行為と言えるだろう。これに対し、世界は言わば黙認しているかのような状況であり、忸怩たる気持でいっぱいになる。
なぜ、イスラエルのユダヤ人は自分たちにされたことを、パレスチナ人にしているとは思えないのだろう。なぜ、アメリカはこれをやめさせようともせず、支持するのだろう。
このような状況があまりにも悲惨なため、わずかながら世界がようやく動きはじめた。それはフランスを皮切りにイギリスも、パレスチナを国家として承認する方針となり、国連常任理事国で承認するつもりがないのはアメリカのみとなり、G7の一員であるカナダも同様な方針を表明し、ドイツ、イタリアも前向きなようだ。今や、イスラエルにNOを言えないアメリカを孤立させ、危機感を持たせる好機となった。
そのような動きでパレスチナ問題が解決できるわけではない。国境をどの範囲にするか、はたしてパレスチナの暫定自治政府が正式な国家として機能できるかなど、解決すべき課題は多いだろう。しかし、どんな形でも、これまでの固定的な状況が動き始めたことを大事にしなければならないのではないだろうか。
日本政府もこのような中で、パレスチナの国家承認の教義を始めたようだが、案の定、アメリカがこれを見送るよう要請したという。その理由は「和平実現を後退させる」という訳が分からないもので、アメリカがユダヤロビーや福音派に逆らえないからに過ぎないだろう。
アメリカはそのような要請を上記の国々にはしていないようだ。少なくともそのような報道はされていないと思う。そうだとすると、今更ながら、アメリカが日本を自国の意向を忖度する、扱いやすい国、もっと言えば属国のように捉えていることが改めて明確に表れている。このような関係のために日本が不利益を被るだけならまだしも(それだけでも国民は怒りを覚え、惨めな気持ちにさせられるが)、パレスチナを犠牲にしてアメリカの「いい子」から自立した判断をしないならば、もはや独立国ではない。また国際的にも許されない行為だ。
日本政府がこの件でアメリカの意向に屈することは、イスラエルによるガザ地区のホロコーストを容認することに他ならない。日本政府は奴隷根性から脱し、パレスチナを国家承認せよ。
書評 スピノザ 「変性の哲学者」の思想世界 著/加藤 節
スピノザについては、『エチカ』という著書を書いた哲学者として、その名前を知っている程度だったが、ユダヤ協会から破門にされたユダヤ人であることを知り、ユダヤ性から自由になろうとしたユダヤ人としては最初期に生きた人と言えそうなので、このスピノザの解説書から読んでみることにした。
破門の理由は、「魂の不死性とユダヤ教の律法の真実性を否認し、「哲学的な」神しか存在しないと主張した」とのこと。これは彼が23歳のときで、「肺疾患という宿痾に長く苦しんだ末に44歳という若さでその一生を閉じた」という。
その理由はともかく、スピノザは典型的なユダヤ人としての育てられたが、17歳から家業の貿易業を手伝うようになり、父親が亡くなったため22歳からその家業を引き継いだそうで、その経験が、「ユダヤ教以外の多様な信仰や思想を持つ「賢き商人」と呼ばれた教養ある人々との接触と、ユダヤ教徒のように律法に拘束されることなく、富や利益の蓄積によって社会的地位の向上を図る人間の赤裸々な姿の認識をもたらした」とのこと。ここから、スピノザが、ユダヤ教の世界観の相対性を自覚するようになり、キリスト教世界の学問や自然科学を研究するためラテン語学校に入学し、マキャヴェッリやホッブス、デカルト等の影響を受けるようになったことが破門に至った経過のようだ。
スピノザは、破門を機に、「最高善」の獲得を目指す倫理学に向かい、そのための通路をどこまでも人間の「認識」を求め、その「倫理学に政治学を抱合させる方向を辿った」とのこと。
「認識」については、著者によれば、当時、自然科学が発展する中で、「認識対象としての自然の非人格的な実体への還元」には、「プロテスタンティズムとりわけカルヴィニズムが果たした被造物崇拝の徹底的な否定」が被造物を「即物的自然へ還元して科学的認識の客体を析出し」た一方、「造物主としての神の全能性を証明」しようとしたことの影響があったそうだが、「スピノザの倫理学を支える支点としての「認識」の対象は、自然科学が対象とする第一の自然ではなく、どこまでも、「精神」および「神」と合一した「全自然」以外のものではありえなかった」とのこと。
「近代哲学の父とも評されるデカルトの自然と精神とを二つの実体とみなす世界の二元論的構成」には、現在批判がされているが、スピノザの上記のような論理はその中でどのように位置づけられるのだろうか。
それはともかく、「倫理学としてのスピノザの哲学は、彼の有名な命題、「神即自然」に集約される汎神論の範疇に属するもの」だとのこと。
以下、スピノザの「意識」、「延長」、「思惟」、「感情」、「三種類の知(表象知、理性知、直観)」、「三つの「人間の条件(この中で、「協議し、傾聴し、討論する」ことを最重要視した)」などの概念が開設されているが、ここでは触れない。
今日の私たちが認識しておくべきことに絞るとすれば、「倫理学」の章においては、上記の「神即自然」だが、「政治学」の章においては、デカルトの「私は思惟する、ゆえに私は存在する」という命題を、スピノザは、「私は思惟しつつ存在する」という「単一命題」として理解し」ていたとし、これは「あきらかに一元論的思考様式」だという。それから、当時の哲学者(スコラ哲学者)へのスピノザの批判は、キリスト教による原罪観念などの神学的人間解釈を清算し、「人間の自然状態」を神学的非難から守ろうとする明確な意図があったとのことだ。
具体的な政治論は、伝統的な「三政体論(民主制、貴族制、君主制)」を踏襲していたが、「神政政治」や「王権神授説」に特に批判的で、彼の「社会契約説」は、「政治権力の支配の正当性根拠を人間の同意に求めるもの」で、「所与の政治共同体に倫理的生活を可能にする「変性」を目的として求める意味を蔵して」いたという。
「聖書批判の展開」の章においては、「「表象知」に依拠する「預言」は、それ自体においては何らの確実性も内に含むことができない」もの」だと批判し、「奇跡」とすることは「無知」だからだと指摘し、「真の宗教」論を提案するなど、大胆な主張をしたという。しかし、彼の主張も、「十七世紀のヨーロッパにおいて、時代の正統的なキリスト教信仰とされるものに抗して「信仰の新しい理念を宣言」し、「宗教の新しい形式を具体化しようとした」どの思想家の企図も、聖書解釈を通して「キリスト教の新しい表現を見いだそうとする努力」以外の形態をとりえなかった」ように、「政治的な最高権力への反逆を信仰者の義務として課するものではなかったとのことだ。
そんな中でもスピノザは、「神の子」として神格化された「イエスキリスト」について、「「神の子」たるこの神的な「知性」は、「神の知恵」として人間イエスの「肉体」の中にではなく、神と「精神対精神」で交わったイエスキリストの「精神」の中に最も多く「表現」されている」としたほか、「聖書を「人間の言葉」で書かれた歴史的文献に還元したうえで、・・・聖書に疑うことが許されない「神の言葉」としての「真理の認識体系」を与える一切の立場を否定し、・・・「宗教を解釈し、宗教に関して判断する最高の権能は各人の下になければならない」と言ったそうだ。
要するに、スピノザは、ドグマと化しているキリスト教の教えを相対化した先駆者だが、「真の宗教」論を唱え、自ら無神論者ではないと主張し、宗教否定にまでは行きつかなかった哲学者と言えるのではないだろうか。その彼にとって「神」とは何だったのだろうか。この著書には、スピノザの哲学的言説が詳しく述べられているが、その現代的な意味づけ、位置づけなどの解説が欲しいと思った。
書評 消費される階級 著/酒井順子
現在の社会の風潮と変遷、矛盾などを分かりやすく、鋭く解説する随筆集だ。私たちがなんとなく感じていることを明確に分析している。
多くの古くて新しいテーマが扱われているが、この中の「反ルッキズム時代の容姿磨き」を興味深く読んだ。著者は、現在の美を追求する活動が、「昭和時代よりずっと先鋭化している」とし、かつては、「自分が他人からどう見えるか気にしている」ことは、恥ずかしいこととされていたが、ネット上に自分の姿を晒すようになったせいで、その見栄えが問われるようになったために、美しく自分を見せる行為が当然とされるようになったからだと解説する。そして、美しい容姿を追求することが、「自分を高めるための努力を怠らない人」と肯定されるようになったと言う。そのため、「外見はどうであっても、内面が美しければそれでいいのです」とは言っていられなくなったと言う。
確かに、容姿に限らず、「インスタ映え」などと、見栄えを競う風潮が当然とされるようになっている。この変化見逃さずに捉えていることは鋭い。彼女の言う通り、ネット上に自分の姿を晒すようになったことはそのきっかけかもしれない。しかし、だからといって、なぜ見栄えを気にする愚かさを感じなくなったのだろう。それでは、化粧品や美容整形を含む美容産業は儲からないので、これらの産業から巧妙に仕向けられてからではないだろうか。その辺まで分析してほしくなるが、これは随筆であり、その分析まで求めることには無理があるかもしれない。
それから、「モテなくてもいいけど、出会いたい」というテーマでは、戦前の主流だった見合い結婚が1960年代末に恋愛結婚に逆転された歴史が語られている。それは結婚相手は自分で探すことになっただけで、恋愛と言っても、「自然の出会い」を成立させるために、様々な権謀術数や手練手管が使用されていたこと、「誰かと愛し合いたい」「パートナーが欲しい」という要求が、「モテたい」ということにしかならず、晩婚化、非婚化が進んだこと、それにも無理があるためマッチングアプリが生まれ、その存在感が高まっていると述べている。これも風潮を明確に認識している文章だと思うが、社会的な背景までは突っ込んでいない。やはりそういう不満にも無理があるかもしれない。
書評 西洋化の限界 著/ジョン・T・ダヴィダン 中嶋啓雄/監訳
註等を含めると400頁を超える大作で、魅惑的な表題の著書だが、得るところがほとんどなかった。
サブタイトルが、「アメリカと東アジアの知識人が近代性を創造する」、第二章のテーマが「一八九〇年代から一九一〇年代にかけてのアメリカ的思想における近代性の発展」とされていることに、違和感があったが、読み進めるうちに、この著者は日本や中国の思想家たちを表面的にしか捉えられないこと、プラグマティズムを礼賛している軽薄な学者であることが明確になっていった。
この著者は、一九世紀後半から始まった西欧近代思想への批判についての認識がなく、そこから派生したプラグマティズムに疑問を持たずに、日本や中国の知識人の思想を分析してこの論文を著している。だからそれらのあらさがしをすることにしかならない。そもそも知識人は社会のなかで特定の階層に属しているので、その思想分析をしただけでは、それぞれの国の文化や社会の構造は見えてこないのに、その主張さえ理解しようとしないのだから、アメリカ人から見た東アジアの知識人の主張の劣等性を指摘する言説に終始してしまうのだ。
彼は、第一次世界大戦の結果、「西洋の帝国は縮小し、アメリカを除く西洋は経済的に弱体化した。」、「ヨーロッパと太平洋における圧倒的な勝利は、アメリカ人たちが西洋化された近代性に大きな夢を持つことを可能にしたのである。」という文章が挿入されているが、ここには彼がアメリカの国勢と思想の優位性を混同していることが明確に表れている。
彼は、「中国は西洋化に失敗した。」と切り捨て、これに比して日本の西洋化を認めている。ここには日本人の欧米コンプレックスが大きく影響していることに無頓着で、中国人にはその影響がなかった原因等についての考察がないことは、このテーマを取り上げた言説においては致命的な欠陥だ。
結局、この著者は欧米人にわかりやすい福澤諭吉や丸山眞男はある程度評価しているが、竹内好や魯迅たちの思想を理解できずに済ましていた。まして、日本の思想家の転向などの問題には到底行きつかない。
「西洋化の取り組みは、帝国主義の古いイデオロギーや、西洋文明の優位性とされていたものとの関連性から、強力な反対に遭遇した。」と述べながら、その反省をしているわけでもなく、西谷啓治らの京都学派の学者が「近代」と「西洋化」を混同しているとしながら、それぞれの定義をしていないため、この著書において自らがそれらを混同しているなど、論理が極めてお粗末だ。
結びにおいて、「西洋化の限界」とはアメリカ人が想定したよりも彼ら(東アジアの思想家)は多様で、自らの伝統に関心があり、西洋を模倣することに関心が低かったと、思い違いを反省しているかと思うと、ロストウらの理論が「合衆国に後れをとっている非西洋諸国についての完全な説明とそれらの国々が追いつくことができる方法の処方箋として開花した」と述べ、それが短い間でしかの究極の理論だったという理由を検討しないで、「実際には諸国家をアメリカ式の近代性に迅速に変換することができなかった」と淡々と語るなど、この著者は読者に伝えようとしていることがあるとは思えない。「近代性の解放主義的傾向は、学者や一般の人々の間で劇的に拡大した。」、人間は未だ解放と合理的な問題解決の能力があり、この事実を受け入れるならば、私たちは近代性を救うことができる。」という言説は虚しく付け足しされている。
書評 プラグマティズム 著/W・ジェイムズ 訳/桝田啓三郎
プラグマティズムをアメリカに広めた哲学者の本だ。若い時から読んでみようと思いながら実際に読む気にならなかったのだが、ある学者が読むべき「古典」としていたので、今更ながら読んだ次第だ。
「プラグマティズム」とは、ウィキペディアによれば、「実用主義、道具主義、実際主義とも訳される・・・元々は、「経験不可能な事柄の真理を考えることはできない」という・・・イギリス経験論を引き継ぎ、概念や認識をそれがもたらす客観的な結果によって科学的に記述しようとする志向を持つ点で従来のヨーロッパの観念論的哲学と一線を画するアメリカ合衆国の哲学」とされている。ジェイムズはチャールズ・サンダース・バースからこの哲学を学んだとしているが、現在普及している「プラグマティズム」はこの本により普及した考え方のようだ。
ヨーロッパ近代哲学批判は19世紀後半から始まっているが、その流れの一つとして生まれたということになるだろう。しかし、「実体的なあるいは形而上学的な意味における「自我」とか「物質」などーそれらの思惟形式の支配を何人も脱するわけにはいかない。実際生活においては、常識的な思惟手段がつねに価値を利するのである。・・・・この自然な思惟の母国語に比べると、その後のより批判的な哲学などは単なる気まぐれな考えに過ぎない。」という言説などを読んでみると、新たな哲学などとは到底言えない、「哲学からの逃避」のように思える。
「世界はじつに鍛えられるものとして存在し、われわれ人間の手によって最後のタッチが加えられるのを待っているのである。天空の王国と同じように、世界は人間の暴力を悦んで受け容れる。人間が審理を産みつけるのである。」という主張には、トランプ米大統領が石油などを掘りまくると叫んでいることと同じ根っこを感じさせる。
読む気をなくさせるような言説の連続だったこの本を読み終えて思ったことは、現在のアメリカ人がとりつかれている思潮が突然現れたのではなく、伝統的なものであることがよく分かり、そのこと自体は収穫だったということだ。
私も近代西洋哲学には疑問を持っているが、プラグマティズムはそれを解く考え方には全くならず、心情的にはどちらかと言えば、前者のほうにシンパシーを感じる。
書評 フロイトのモーセ ヨセフ・ハイーム・イェルシャルミ/著 小森謙一郎/訳
サイードが『フロイトと非-ヨーロッパ人』において、この本の著者が、フロイトといえどもユダヤ人の性格上の特徴を継承することは避けられないとしていることを引用していたので、その内容を詳しく知りたいと思っていた。
この著者は1932年生まれのユダヤ系アメリカ人のユダヤ史家だ。序章の「聴衆のための序奏」で、このテーマを研究するきっかけは、「反セム主義の精神分析的研究調査班」に参加することになったことだったと述べている。このメンバーはおそらくほとんどがユダヤ人の精神分析家なのだろうが、この研究を充実させるためにユダヤ人歴史家が必要ということになり、彼が選ばれたようだ。
読んでみると、予測していた通りのフロイト批判だった。 フロイトの『モーセと一神教』は、イェルシャルミの言う通り、歴史書でも小説でもないアナロジー的な著作だといえるだろう。しかし、この著書の意図は、反ユダヤ主義の原因となったヨーロッパでの伝統的なユダヤ人ぎらいの原因となっているユダヤ人の選民意識を解消しなければ危機的状況は避けられないという認識で、この意識の根拠となっている、旧約聖書の神話を崩そうとしたことにあり、サイードも上記の著書において、その意味でフロイトを評価している。そのこと自体を支持しないまでも、理解しなければ、単なるケチつけのような評論にならざるを得ない。
確かにフロイトの論理には飛躍や強引さがあることは認めざるを得ない。しかし、この弱点を指摘し歴史書としての批判をしても意味がないのだ。それにもかかわらず、イェルシャルミは執拗にフロイトの認識の矛盾を突いている。この著者はフロイトが、なぜ自己を含むユダヤ人のユダヤ性と苦闘していたのかということに少しも理解を示さず、フロイトの『モーセと一神教』と共に彼の精神分析論をシニカルに批判している。この姿勢には、フロイトの時代とは異なり、反ユダヤ主義と罵倒すれば世界中の言論をリードできるとして、いまや強者となったユダヤ人の驕りを感じる。このような姿勢にユダヤ人以外の人間の共感は生まれない。このような姿勢こそ、現在のイスラエルの残忍なガザ侵攻をもたらしているのではないだろうか。この著者はこの状況を知らずに没しているが、このような姿勢をユダヤ人が改めなければ、「新たな反ユダヤ主義」が生じることは避けられないだろう。
イェルシャルミのこの著書で参考になったのは、フロイトが生家において身に着けさせられたユダヤ的な慣習を明らかにしたことだ。割礼を含むユダヤ人の様々な慣習は少なくともフロイトが育った19世紀後期にも続いていて、おそらく現在も残っているのだと思われ、ユダヤ性の根強さはこの家族的慣習にあることを再認識した。
書評 動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 著・東 浩紀
この本は2001年11月に発行されているので、もう時代遅れかもしれない。しかし、少なくとも20世紀末までの社会の分析ではあった。
筆者は、「オタク」文化のアニメやゲームを紹介しながら、その分析をしていくが、私はそのアニメ等はなじみがないので正直言って、その辺はよくわからない。
しかし、この本はそれでは終わっていない。筆者の分析は、日本はもちろん世界の文化のポストモダン化にまで及んでいる。彼は、‘60年代からのポストモダニズムの起源を述べてから、「日本では八〇年代半ば、若い世代の流行思想として(大学ではなく)むしろ大学の外でもてはやされ、そして時代と共に忘れ去られた。」、「むしろ重要なのは、日本で、その難解な思想がジャーナリスティックに流行してしまったという事実である。」と述べる。さらに、「おそらくその流行は、当時すでに一部の批評家が指摘していたように、八〇年代の日本社会を満たしていたナルシシズムと関係している。」という。
当時のポストモダニストは、「ポストモダン化とは、近代の後に来るものを意味する。しかし日本はそもそも十分に近代化されていない。それはいままで欠点だとされていたが、世界史の段階が近代からポストモダンへ移行しつつある現在、むしろ利点に変わりつつある。十分に近代化されていないこの国は、逆に最も容易にポストモダン化されうるからだ。(中略)そのようにして二十一世紀の日本は、高い科学技術と爛熟した消費社会を享受する最先端の国家へと変貌を遂げるだろう。」というような主張を好んだという。
これについて著者は、「この単純な図式は、歴史的には、戦前の京都学派が唱えた「近代の超克」の反復だと言える。だが同時に、その発想はやはり当時の経済環境を色濃く反映している。八〇年代半ばの日本は・・・アメリカと対照的に、いつのまにか世界経済の頂点に立ち、バブルに至る短い繁栄期の入り口にさしかかっていた。」と分析し、批判する。おおむね妥当な言説だとは思うが、その頃の「ナルシシズム」な風潮に乗った軽薄極まりない論理は「近代の超克」とは較べられないのではないだろうか。
著者は、「近代は大きな物語で支配された時代」で、ポストモダンは、その「大きな物語」が機能不全となり、社会全体のまとまりが弱体化した時代であり、日本では七〇年代にそれが加速し、「オタク」が出現したのは、その空白を埋め合わせるためだという。
この後、著者はコジェーヴの、「ヘーゲル的な歴史が終わった後には」、アメリカ的な生活様式の追求=
「動物への回帰」か、日本的な「スノビズム」(=ジジェクの「シニニズム」)しか残されていないという言説を紹介する。前者は、戦後のアメリカは動物が食物さえあればいいように、「ニーズ」が満たされることしかない消費社会に過ぎないという意味だろう。資本主義に踊らされている度合いが強いほどこうなることは必然なのだろう。
一方「スノビズム」についてコジェーヴは例として「切腹」を挙げ、ジジェクは「シニニズム」の例として「スターリニズム」を挙げているそうだ。ジジェクは、『イデオロギーの崇高な対象』のなかで、「私たちはみな、舞台裏では荒々しい党派闘争が続いていることを知っている。にもかかわらず、党の統一という見かけは、どんな代償を払ってでも保たれなければならない。本当はだれも支配的なイデオロギーなど信じていない。・・・」とそれを分析しているとのことだ。言ってみれば、「たてまえ」しか認められていない状態のようだ。
著者は、ポストモダンは七〇年代以降の文化世界を指しているが、ポストモダン化の始まりは、第一次世界大戦が終わった二〇年代、三〇年代であり、冷戦が崩壊し、「共産主義という最後の大きな物語の亡霊さえなくなった八九年」にかけてゆるやかに行われたと捉えている。だから、二〇世紀とは「中途半端にポストモダンだった時代だった」という。その時代の人びとは、「大きな物語」と「小さな物語」を繋げるためにスノビズムが必要だったが、その後のポストモダンの人びとは、それらを繋げることなく、バラバラに共存させていて、「わかりやすく言えば、ある作品(小さな物語)に深く感情的に動かされたとしても、それを世界観(大きな物語)に結びつけないで生きていく、そういう術を学ぶのである。筆者は以下、そのような切断のかたちを精神医学の言葉を借りて「乖離的」と呼びたいと思う。」と述べているが、これは現在の世界の風潮を極めて鋭く的確に表していると感心した。
近代哲学や思想の根幹である、「動物の欲求は他者なしに満たされるが、人間の欲望は本質的に他者を必要としている」という区別、「間主体的な構造」が消え、「動物的」だとコジェーヴが言ったアメリカ社会の論理は、いまや全世界を覆いつくしていると、著者は述べたが、最後の章は、「この章では、原理的な考察はもうやめて、ポストモダンとは表層的にはどのような世界で、そこで流通する作品はどのような美学で作られるのか」の思いつきの記述に入ってしまった。これはいただけない。上記のような危機的な状況になった原因を解析し、どのように脱するかまではいかなくても、対処の心構えぐらいは記してほしかったと思う。
書評 福岡伸一、西田哲学を読む 著・池田善昭、福岡伸一
この本はこのようなタイトルだが、哲学者の池田と生物学者の福岡の対談が主に掲載されている。生物学者でありながら福岡はNHKの「日本人は何を考えてきたのか」という番組企画に参加し、近代日本思想史をたどる中で、「近代の超克」座談会を主にリードした京都学派の祖・西田幾多郎を「知る必要」があったという。
一方、主に理系、文系など「二つに大きく分断されてしまっている人類の知恵をもういちど統合しようとする試み」である「統合学」をめざす集まりにも参加していた福岡は、この集まりの中で西田の研究者の池田と出会い、池田が、福岡の「動的平衡の生命論」は「西田がめざしていた生命に対する考え方と極めて密接な相同性をもつ」と指摘していたことから、この対談に至ったそうだ。
対談は、西洋においては自然の中にある「ピュシス」が忘れられ、「ロゴス」の理念的世界の中に入ってしまい、ハイデガーにおいて、これは「存在の忘却」だと批判したが、西田はその前から「ピュシスに帰ろうとしていた」という、池田の解説から始まる。
そして、池田は、西田の「自覚」、「純粋経験」などについて解説する中で、福岡の細胞膜についての内側でも外側でもない「あいだ」という概念が、西田の「絶対矛盾」と同じだという。ここから、池田は「包む・包まれる」、あるいは「包まれつつ包む」という独自の説明理論の説明に入り、樹木の年輪を例にして、環境との関係を、「普通の考えでは、環境が樹木を限定するはずなのに、樹木のほうが逆に環境を空間の中に限定してもいるわけです。そのことが「包まれつつ包む」、すなわち西田の「逆限定」と言われます。」と述べる。
このことが納得できない福岡が質問を重ね、池田は、福岡が西田の理論を理解しているのにもかかわらず、この説明に納得しないことに戸惑いながら答えるというやりとりが繰り返され、ついに対談中にはそれが終わらず、その後メール交換をするという、対談記録としては珍しい展開となっていった。感心したのは、福岡が、自分が納得できなければ読者の多くも納得できないだろうと、半端な納得をしないように努めながら質問を繰り返していたことと共に、池田が福岡の姿勢を真摯に受けとめ、粘り強く、言葉を選びながら福岡に理解しやすく説明していたことだった。真理を求め、伝えるということはこういうことなのだと感動する思いだった。
この結論は、福岡が、「包む・包まれる」という表現について、それぞれの主語は同じであることを理解せずに解釈していた間違いに気づいたということで解決した形になっていて、福岡は「生命は、合成を行うと同時に分解を行う。生命は、エントロピー増大のなかにありつつ、エントロピー減少につとめる。」という理論と同じで、「矛盾していることが同時に存立している状態、それが「逆限定」だということ」と、わかったということだった。
この辺は西田哲学にも、福岡の生命理論にもなじんでいない私にとって理解困難だが、福岡が西田の理論のなかに自己の理論を見出すことができたのだろうと受け止めておいた。
この後、対談は西田の『論理と生命』、『生命』という論文に取りかかり、池田は、ソクラテス、プラトン、カントたちは、「私たちの理性や論理で近づける範囲のみで姿かたちを理解したり構成したりという、いわゆる「主観性の原理」に基づいてい」るので、「真の実在に触れることはでき」ないと西洋哲学を批判し、その後も「ミンコフスキー(ならびにアインシュタインなど)は時間を「存在論的」に思考した」が、「西田や福岡さんは」、「実在論」的に思考した」と述べる。ここから、池田は生命をめぐって、「存在と実在との差異」、「一の多」、「他の一」、過去、現在、未来のとらえ方にふれ、福岡の「先回り」という概念が、西田の「未だ来たらざるものであるが現在において既に現れているもの」と理解でき、さらに「同時進行」と同じで、「福岡さんの「先回り」(動的均衡)と、(西田の)「絶対矛盾的自己同一」とが完全に重なる」と述べる。
そして池田は、福岡が動的均衡の一回性について触れたことを取り上げ、「時空における「動的均衡」の「一回性」が永遠性を含む以上、日常生活において、よく「かけがえのない命」のように言われるわけですが、僕はこの状態の「かけがえのなさ」を、「大切な、無駄にできない尊さ」という倫理的な意味で表現したいと思っています。」、「一生を虚しく終わらせたくないのであれば、「現在」を過去・未来の同時性として生き抜く以外の生き方はあり得ないのです。その意味で二度と同じ状態をとらない「一回性」とは、「かけがえのないこと」と言えるのではないでしょうか。」と述べている。彼にとって哲学は単なる学問ではなく倫理であり、生き方そのものだったのだ。私もこの言葉を肝に銘じよう。そう、人間にとっては、過去に何をしたか、未来に何をするつもりかではなく、現在をどう生きるかということが全てだと。
全般に難解な問題について考える対話の中で、生命をロゴス的にとらえる「機械論」の批判として、福岡が自ら患っている花粉症を例に揚げた話はとても分かりやすい。福岡は、治療薬として使われる抗ヒスタミン剤が「これまでと違う新しい平衡状態を作り出そうとする」ので、生命はさらなるヒスタミンを放出するというリベンジをするため、より激しい症状になるという。だから「動的均衡論」では「花粉症とは、騙し騙し付き合っていくしかない」と説くが、これでは製薬会社は儲からないので、「動的均衡論」は資本主義になじまないという。さらに「悲しいことに、資本主義社会では、どうしても生命というものを<モノ>の延長として考えざるを得ないという側面があることも否めません。」とも述べている。今度は、哲学が経済システムにまで影響していることが明らかになった。
対談は、福岡の、「同時性」は、物事を因果関係で考えるこれまでの科学では扱えない、生物の行動の部分的達成は「自然選択」とはなりえないなどの、近代の常識となっている考え方の批判で終わり、後半は、福岡が西田哲学を取り入れた、「ピュシスの側から見た動的均衡」という理論編と、池田の「生命を「内から見ること」において統合される化学と哲学」というエピローグとなる。後者のなかで、池田の、デカルトが、「「われ思う故にわれ有り」のその「われ思う」とは、己の生命を外から「包む」ことはあっても、デカルト自身、よもやその生命に「包まれている」などとは思いもしなかったであろう。」、そして、西洋近代科学が、「客観性を「真理基準」としながら、結局のところ、どこまでも物を外から対象として見る限りにおいて認識主観における「主観性の原理」に過ぎなかったと言わざるを得ない。」という言は、これまでに述べてきた西洋哲学批判の分かりやすいまとめとなっていた。
最後に池田は、今日のライフサイエンスは生命哲学と一つに統合されるであろうと述べ、「その先に、生命的な時間をもちえない今日の<AI>(外からのみ知る人工知能)を含めた、人類の未来の有り様がやがて徐(おもむろ)に示されてくるに違いない。われわれのこのたびの対談がその先駆けとならんことを、こころから祈らざるを得ないのである。」と熱を込めて結んでいる。なお、池田はこの著書発行の数年後に逝去している。このような倫理を哲学的に、哲学を倫理的に説く人がいたことを記憶に深く刻みこみたい。
書評 親米と反米 吉見俊哉・著
この本は2007年に発行され、その頃読んでいるが、この著者の『アメリカ・イン・ジャパン』を読んでから再読した。
その著書と重なる部分はかなりあるが、この本は、2001年の「9.11」以降に高まった反米思潮の描写から始まっている。このため世界中ではアメリカの好感度が大きく下がったのに較べ、日本においてはあまり下がらなかったという。この特異な日本の親米意識は、戦勝国にも関わらず、日本の復興を暖かく支援してくれたからだけではないと、アメリカとの交流が始まった開国以来の歴史を述べながら探っている。
強引な開国要求にも関わらず、「自由の国」アメリカというイメージはこのころから植えつけられ、内村鑑三のアメリカへの幻滅にもかかわらず、明治期をとおして、福澤諭吉などから広められていたという。
そして、大正期までには、浅草オペラなど、「より通俗的で感覚的な大衆文化にも影響を及ぼし始めてい」て、「今や「アメリカ的でない日本がどこにあるか」」とある評論家が述べていたほどであったそうだ。
しかし、「第一次世界大戦後の日本におけるアメリカニズムは、すでに裏返しのナショナリズム、つまり西洋的なまなざしを内面化した「日本回帰」を内包していた。」という。
大正デモクラシーにもつながったアメリカニズムは、ウィルソン大統領の国際主義提唱を境に、吉野作造などの支持派と保守層の懐疑派に別れ、欧米の人種差別的な黄禍論などから反米意識も芽生えてきたとのこと。
この反米意識は日米関係が険悪化する1930年代に高まり、「鬼畜米英」を唱えるものの、「アメリカに対する日本人の関心の高さは、・・・姿を変えながら持続していたように見え」、「強く意識し、時にはアメリカを無意識に欲望し続けたようにすら見えるのである。」と述べる。
戦後の日本については、このような日本人の心理が、アメリカの巧妙な占領政策の狙い通りに操られてきた描写がなされていく。この辺は前著書と重なる部分が多いが、著者は、「戦後、天皇制を信奉するナショナリストが「反米」を主張しようとすると、論理的には「天皇」を信奉しつつも、「天皇」を非難するという自己矛盾に直面せざるを得なかった。」と、日本のナショナリズムの特殊性を指摘している。
戦後の「反米」は反安保闘争に表現されたが、ここには民族ナショナリズムが見られ、ベトナム反戦運動にはそこからの決別があったというが、「「アメリカと日本は、お互いに、戦争犯罪を隠すために協力」してきたのであり、・・・自己の加害性についての真摯な自覚がない」と鶴見俊輔の言説を引きながら、日本人がナショナリズムから自由になれない理由を述べている。
現在の日本人には、「内なる他者としての「アメリカ」の二つの次元が存在するという。一つは軍事基地として見える形で、もう一つは「見えざるまなざしとしての「アメリカ」」だと。後者は上記の「裏返しのナショナリズム」と同じことを指しているのだろう。それは天皇を焦点に位置づけた、日本独特の視覚を完成させ、「三種の神器」に象徴される「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」が日常生活に取り込まれながら形成され、「消費社会型のアメリカニズム=ナショナリズムが確立」したことにより、1970年代以降は、「「親米」と「反米」という対抗自体が、人びとの意識に浮上しなくなる。」という。
さらに、江藤淳の「この空気のように偏在するアメリカから逃れることはできない」という認識を引きながら、「この時点までに日本社会は、「アメリカ」を自己に取り込み、同時に「日本」自身を他者化」するという、いわばアイデンティティ喪失(錯誤)の状態に日本人が陥っていることを指摘し、「イラク戦争の失敗」後、衰退するアメリカを見据え、アジアにおいて進んでいる、「日米の「抱擁」が隠蔽してきた諸問題を受け止め、「「親米」と「反米」という二項対立を内破して問い直し、アジアとの、歴史との、そして多様な複数的な自己との、真に反省的な再会を果たしていく必要がある」という結びに大いに同感する。
書評 アメリカ・イン・ジャパン 著・吉見俊哉
アメリカが先住民族を排除しながらどのように建国してきたか、そのアメリカが「ペリー提督の大遠征」以来、日本人にとってアメリカがどのような存在であったか歴史資料としてとても参考になる書籍であり、日本人の無批判のアメリカの受容についても改めて気づかせてくれる。この著者の『親米と反米』と重なる部分はあるが、この著書では明治維新前後のアメリカの宣教師の活動や留学した日本人について詳しく述べられ、アメリカが日本に戦前から強い影響があったことをわからせてくれる著書だ。
アメリカは、戦後の占領期から日本人から反米感情を抱かないように、検閲を含む巧みな心理操作をしてきたという。具体的には、「検閲の事実自体を検閲し、占領軍の姿を見えなくすることで、戦後日本には、あたかも自分たちだけで自足しているような表象空間が作り上げられ」、これは、マッカーサーが、昭和天皇が「従順なのを確認すると、自身は舞台裏に隠れ、「人間宣言」した天皇を舞台の前面に立たせる戦略を選」んで以降、マッカーサー元帥ではなく、昭和天皇が、あたかもいまだ日本の中心にいるかのような存在として部隊の前面に躍り出ていった」ことに表れていると述べている。
日本での原発普及の経過にも触れている。「アメリカの国家安全保障会議の作戦調整員会は、日本に実験用原子炉を建設して原子力の非軍事的利用に強力な攻勢をかけるべきことを勧告し」、その委員の一人は、「広島・長崎の原爆投下を経験した日本に原子力施設を建設することは、両都市での「惨劇の記憶から我々を解き放つ劇的でキリスト教的な身振り」となるだろうと主張し」たとのことで、さらに山崎正勝を引用し、国防長官補佐官が、(第五福竜丸)「事件後の日本での反米的な動きを牽制するため、日本に原子炉を建設する」ことが、「予想される共産主義勢力の行動に対抗し、「日本ですでに生じている被害を最小化する」方法だと国家安全保障会議に助言した」という。
このようなアメリカの狙いに乗せられ、建設された敦賀原発に設置された一号機は、2011年に大事故を起こした福島第一原発の一号機と同じGEで、美浜原発建設の責任企業は、やはりアメリカのウェスティングハウスであるように、このころすでに原発はアメリカの原子力産業の重要な輸出品となっていて、日本は真っ先にそれらを購入するお得意さんになり、原発が推進されたようだ。
1950年代以降も、「アメリカは日本本土の反米感情を和らげるために、米軍基地の多くを沖縄に移転し、本土の非軍事化と沖縄の要塞化を表裏一体に展開」した、とも述べていて、沖縄を犠牲にしてもほとんど気に留めないような日本人の心性までアメリカは見据えているようで、アメリカに対しても、本土の日本人に対しても怒りを覚えるとともに絶望的な気持ちにもなる。
このようにアメリカの心理操作でアメリカを客観視できない日本人の心性は、日本国内各所に自由の女神像が政治的、理念的な意味なしにファンタジーとして建設されていることに表れていて、さらに1983年にディズニーランドが建設されてから、ここに「19世紀以来という意味での「アメリカ」の完璧な再演」がなされているいい、著者はここで、ディズニーランドには「ペリー提督の大遠征」というもうひとつのアトラクションが加えられるべきで、「そこではまだ「文明化以前」の滑稽な様子が、現代のアメリカ人のまなざしに同化した日本人の前で演じられていくことになるでしょう。」という強烈な皮肉を述べている。著者も怒りを込めながらこの著書を表していることを痛切に感じる。